FLOW

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剱山へ

2015.8.7 徳島県「剱山」

きもちのよいトレイルだった。

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自然の中に身をおくと、自分の小ささを実感できて、とてもここちよい。

やりたいことやれているかなって思う。

人の評価を気にして愛想笑いできるほど、人付き合いがうまいわけじゃない。

悔いのない人生なんて死ぬときになってみないと分からないけど、少なくとも悔いのない今日はおくれる。

夢中になって駆け回っていたあの日に、なんだか手が届きそうな気がした瞬間だった。

全日本マスターズ陸上にエントリーしてみた

今年で39歳になった。マスターズのカテゴリーでいえばM35ラストの歳。35歳と同じスタートラインにつける最後の歳。

陸上競技やってて良かったと思うのは、どんな選手でもスタートラインでは一緒というところ。ハンデなんかない。身長が高い方が有利な種目でも、スタートラインにつけばみな同じ。権利は平等、結果はそれぞれ。好きだなぁ、こういうの。

種目は100m、400mの2種目。

本来は十種競技や二十種競技に出場したいところだけど、今回の大会は単独種目しかない。無いので諦めて、土曜の午前・午後に行う種目から選んだ。とくに得意という種目ではないけど、エントリーしたからにはできる限りの準備をして望もうと思う。

目標は立てない主義。優勝目指すのは当りまえだから。目指す目標が高ければ、それだけ準備も考えるし、スケジュールから練習、コンディショニング、栄養管理などのマネジメントをしっかりする。簡単に実現できそうな目標だと、準備も適当でいいわけだ。それだけやれば、結果として優勝できなくてもいい。それなりにやった分だけ、悔しい思いはあるけど、悔しいってことは全力を出せた証拠。次に向かって走り出せる。

それに、競技である以上、みんなでてっぺんを目指すことに価値が生まれるわけだから。そんなわけで、やれるだけのことはやるつもりだ。参加賞でいいなら、記録や順位なんていらないし。

いつもは近所や近場の山をタイムや距離をとらずに適当に走っている自分も、たったひとつ陸上競技だけは常に一番を目指すことにしている。それがバランスというのかも。適当に走るのもよし、記録を目指すのもよし。

大会は10月。あと2ヶ月足らず。

あらせずやれることをシンプルにやっていこうと思う。

そこはかとなく ただ走る

会ったことが無い方から「FBを見たけどすごいですね!」とメッセージを受ける。トレイルランを始めたばかりで、いろいろ教えてほしいと。何がすごいか分かりません。

まぁ別にいいですけど、僕はトレイルランナーじゃありませんよ、ただ適当に走っているおっさんですよ、と伝える。イベントに出るつもりもないし、そういう騒がしいのは苦手ですと。

そんなそっけない態度だから、次からはコンタクトが無い。あたりまえか。

仲間がほしいために走るのもよかろう。仲間と楽しく走ってくれ。ぼくは走ることそのものが好きだから、速く走ることも記録を出すことも、あくまでも結果論にすぎない。苦しい練習の先のゴールを目指しているわけでもないし、ゴール後のビールのために走っているわけでもない。

ただ、なんとなく走っていると気持ち良いだけなんだ。

旅と同じ感覚かもしれない。ただぶらぶらと景色が流れ、次の町へ向かい続ける。途中で止まりうまいものを食べ、きれいな景色を眺め、歴史や風土に触れ、風を感じる。

走ることは小さい旅。

旅は一人旅に限るが、たまに人と行くのも楽しい。

走るのも基本ひとり。たまに仲間と行くのも楽しい。

それで充分です。

ピークハントと登山

同じ山に何度も登る。

登り口を変えてみたり、ソロであったり、いつもの友人であったり、新しい仲間であったり、走ることもゆっくり歩くことも、頂上を目指す時も途中で引き返すことも、とにかく山というフィールドに対して「これ」というポリシーも無く、毎回楽しませてもらっている。

自然の中にいると、自分という自我を消失してしまうことがある。そのとき、なんだか自然と一体になった感覚がぼんやりある。その感覚をリアルに呼び戻そうとすると、それらはふっと消えてしまう。思いだそうとすれば、さらに向う側へ行ってしまう。ちょっとあぶない人かな。。。

 

しばらく前、あるベテラン登山家に会う機会があって、ピークハントと登山は違うのだ、という話を聞いた。

一般的に、ピークハントたちはどれだけの数の山を登ったか、それらをいかに効率よく速く登ったかを自慢し、登山家はその過程を楽しむ、と。ピークハントたちはコレクターか何かであり、登山家はそんなピークハンターたちの登り方に対して疑問をもち、批判の対象としているとのこと。山の楽しみは他にもっとある、という主張だ。

自分は、ピークハントも登山家も自分の好きなスタイルで登っているのだから、お互いリスペクトしあえばいいんじゃねーの? お互いを認めれば、自由落下的にお互いの領域に関心を持ちだすんじゃないの? と、思ってしまうのだが。。。

君はどっちなの? と質問されたので「ぼくは倒立ハントです」と答えた。

ルールとマナーを守りながらいろんな楽しみ方でいいと思うのね。自分が思う山の素晴らしさを他人に説明するときは、押しつけにならないよう気をつけなくちゃなぁ。

富士山 水ヶ塚~宝永山 トレイル走

少し強度の高いトレーニングをしようと思い富士山へ。

目的は、身体操作の効率化トレーニングによる効果の進捗。

7:00 快晴。水ヶ塚駐車場をスタート。この時期はマイカー規制が無いためか、五合目は込んでいても、ここはかなり空いている。

梅雨の晴れ間の中、ゆっくりと走る。富士山は五合目までは深い森が続き、トレイルを充分楽しめる。緑道の木漏れ日が走りをサポートしてくれる感覚がある。そんな森を楽しみながら、御殿庭まで軽快に走った。

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御殿庭後半から勾配がきつくなり、森林限界を超えた途端、富士山は砂の山と化す。

このまま宝永山に向かっても良いのだけど、五合目へ迂回してみた。

朝の8時だというのに五合目の駐車場は満車状態。トレイルランニング姿の方もいたが、一般登山客が多く、親子連れやちょっとした観光客の姿もそれなりに多い。

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ここまで一気に走り抜けてきたので、10分ほど水分補給とストレッチしてからの再スタートを切った。

六合目まできっちり我慢の走り、宝永山火口底までは一気に駆け抜け、そこから蟻地獄にはまったありのごとく、ひたすら砂の急坂をすすむ。ここでは走るより大股歩行の方が速いし楽だが、腹を据えてひたすら走り続けようと思ったが、途中何度が歩いてしまった。

宝永山に着くと、スタート時は雲ひとつ無い快晴だったが、下から雲が少しずつ湧いてきている。それでも、駿河湾伊豆半島、沼津の町、富士の町が一望できた。

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20分ほど倒立したり、ストレッチしたり。

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帰りは一気にノンストップ。スピードの変化をつけずに淡々と安全第一で下り無事ゴール。身体のチェックをしながらストレッチと体操。疲労はすでに回復し、太ももやふくらはぎなど特定の筋肉が痛むことも無く、全身のコーディネートがうまくいった感じだった。

今年は、昨年より走行練習が1/3程度だが、タイムは短縮されているし、走った後の疲労感、特定の部位が痛むなどの症状が出ていない。若いころの柔軟で怪我のしにくい身体に戻ってきたのかもしれない。

疲労回復のために、御殿場の山崎精肉店で馬刺を買って帰宅した。