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陸上競技・ロードバイク・トレイルランニング・エストレヤ・旅・FLOW・物理学者(量子力学・量子生命科学)

HELSINKIの旅 その3

競技2日目。
残り7種目。前日の疲労は思ったより無いようだ。これも80%出力のおかげか。。。
全力出してケガをすれば、他のパフォーマンスが著しく落ちるので、このまま怪我なく最後まで走り抜こうと思った。
混成種目ってのは最後まで走り抜くことが最も評価されることだ。
誰でもチャレンジはできても、最後まで走りぬいて笑っていられるのは難しいからだ。

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・60mH 1台目までのアプローチがきまらないが、リズムを取り戻してなんとかゴール。最後はバウンディングになってしまった。走力が足りないのは否めない。

棒高跳 練習ではポールを曲げて突っ込めたが、バーが高くなるに連れてジャンプの角度が上向きになってしまうという悪い癖が出て、最後は助走まであわなくなって撃沈。基礎から練習しましょう。

・200m 得意種目であるが練習をしていなければ、ラスト50mの失速は著しい種目。ロスを最小限に抑える技術で150mまではそこそこのスピードだったが、ラスト50mは減速が大きかった。減速動作はより減速を生む負のスパイラル。とりあえず、リラックスしてにこにこ走った。ケガってのは力んだときに発生しやすい。こういうときはニコニコすればいいと思っている。

・重量投(15kg) こんな重いものどうやって投げるんだ? しかし、外国人は強い。基本的なパワーが全然違うことを実感。あんなめちゃくちゃな投げ方で飛ぶんだから、技術も大切だけど圧倒的なパワーの前では為す術なし。とりあえず、自分のカラダでできうるかぎりがんばった。

・1500m 本来の10種ならこれでラスト。気合が入らないのが功を奏して、たんたんと走った割にまぁまぁのタイム。何事も力まないことが大切ですなぁ、と。

三段跳 ケガが無い状態でもここまでくれば誰でも疲労やら腰痛やらできつい。そんな疲労困憊満身創痍なところへこの仕打。三段跳の身体へのダメージは計り知れない。恐ろしいので、そーっと跳んだ。

・5000m 200mトラックを25周。気が遠くなるけど、ひとひとつ周回を重ねることに集中した。というより、ただひたすらぼーっと走った。もう少しがんばれたかもしれないけど、走りながら思っていたことは「これで開放される」ただ一点のみ。がまんがまんの走りだった。

そして14種目が終了した。
結果は3位だった。

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5位くらいだったと思ったけど、三段跳、5000mで2名をぬいたらしい。最後まで気負いなくひとつひとつ積み重ねた結果だった。走高跳は0点だったけど、そこで試合を放棄すること無く、ひとつひとつできることを楽しめたことが最後の逆転に結びついたのだと思う。ケガも酷くならなかったことがそれを証明していると思う。無理をしていたら大きなケガに発展していただろうから。


また、20代の選手たちと対等(だと思うが)に競技ができたことは自信に繋がった。40歳でも(技術だけではなく)体力的に20代と競り合えたことは、トレーニングの方向性が間違いではないと確信に変わった。
とはいえ、不完全燃焼であったのは否めない。表彰台に上がっている時、もうすでに気持ちは次の大会に向けられていた自分がそこにいた。
2017年夏、ロンドン。20種の世界大会へ。。。

 

2日間で仲良くなった選手たちと記念撮影をして、お互い連絡先を交換し、会場を後にした。


ヘルシンキの街へ向かう地下鉄の中で、じわじわ感じるものがあることに気がついた。
何か目標を持ちそれに向かって生きることは素晴らしい。
だけど、そこに縛られるのは苦しい。自由を失ってしまう。
苦しいことを超えた先にあるものを手に入れようとしていたわけじゃないけど、いつのまにか自分の生き方はそうやって壁を超えることを積み重ねて生きてきた。
壁の向こうの景色は、ぼくだけが見える世界。
その世界はとてつもなく広く自由だった。
銅メダルの入ったバックを眺めながら「これからもそんな自由な世界を行きてゆくんだろうな」と思っていた。

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HELSINKIの旅 その2

翌日は時差ボケを解消するため朝から観光へ。

トラムと呼ばれる路面電車にのり街を一周、説明付きのサイトシーンバスに乗りまたもや街を一周、大きなサーモンをはじめなかなかの種類の魚介類がならぶ市場をうろつき、古いザ・ヨーロッパの町並みを散策して、見るもの食べるもの全てが新鮮な気分にさせてくれた。夕方からは試合会場で軽く1時間ほど汗を流した。会場は当然室内でバンク付き200mトラック、80m直線走路、棒高跳や高跳の施設、走幅跳三段跳のピット、砲丸投やり投げ、円盤投げの練習サークルのみならず、バスケコートやボルダリング施設、ホッケー、体操、ボクシング、卓球などが可能で、20℃前後に調整された快適な空間。フィンランドは冬が長く屋外が使えない時期が長いためとはいえ、大変りっぱな施設だった。

翌日。

競技開始にあわせて会場入り。最初の種目は60m。右のふくらはぎが完治していないため、テーピングとサポーターで十分な圧迫をした。とにかくケガを悪化させないよう7〜8割ほどのチカラで最後までもたせるつもりだった。ただ消極的なレースという意味ではなく、できることをしっかりやる、無理をしないという考えのもとだ。

20代の若い選手の中、自分だけ39歳。しかも2日後には40歳。40際は、50・60代の方々にはまだまだ若いとよく言われる年代だけど、20代の現役選手たちと同じフィールドで戦うことは、言うほど優しいものではない。そんなこというのなら、あなたが40歳のころ、体脂肪が5%で20代の選手とガチンコ勝負していたのか?と意地悪に思ってしまうこともある。それはさておき、自分にとって若い人と競技をするのはとても楽しいという話だ。

前置きはさておき、60mではスタートが出遅れたが、その後はスムースに加速に乗り、平凡なタイムでゴール。痛みはないし悪化した感じもない。この程度の出力であれば最後まで持ちそうな感覚も得られたので、少し気が楽になった。

走幅跳は得意な種目の一つのハズだが、足の具合をきにして助走速度が上がらない。3本とも3cm以内におさまる超安定ぶり。さすがキャリアだけは27年。

800mは200mトラックを4周。聞いただけで疲れたが、走ったらもっと疲れた。

砲丸投はとにかく気合。肩がようやく完治したところなので無理はしない。ただ雄叫びはする。

400mは得意種目とはいえ練習していなければただ苦しいだけの種目。もちろん苦しいだけで終わった。

走高跳は記録なし。練習で跳べた高さが本番で跳べないという初心者あるある。混成競技は絶対に跳べる高さから始めるというセオリーを完全に忘れていたキャリアだけ27年の男。

3000mで少し挽回しようとがんばったらハムがつってへんてこな走りに。走りながらなんとか治して、ギリギリの状態でゴール。

1日目が終了して6位。ケガは悪化していない。明日もこの調子ならもちそうだ。高跳0点は痛いけど、くよくよする性格ではないので、むしろやる気が出てきた。

さっさとホテルに戻って洗濯してストレッチして寝よう。

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HELSINKI の旅 その1

2016.4.7  成田→HELSINKI

2年に一度行われる室内14種陸上の世界大会のためHELSINKIへ向かった。
成田から9時間のフライト、ヘルシンキ・ヴァンター空港へ到着。
空港からFINAIRのバスに乗って30分、ヘルシンキ中央駅へ。そこから、5分ほど歩きホテルについた。
ヘルシンキの町はいわゆるザ・ヨーロッパの町並みと呼べるものの中に、どこかロシアの雰囲気がミックスされ、白い雲と青い空がとても印象的な街だ。石畳とトラムと呼ばれる路面電車がまた良い。

とりあえず写真から。

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答えを出さないという選択が多種多様を生む

なにごとも白黒つける必要はないと思っている。特に普段の生活の中では、ありのままに状況を記憶すればいいと思う。そこに、良し悪しというカテゴリーをつけるから、話がややこしくなるのではないか。素早い判断が求められる社会ではあるが、じっくり吟味せず「0」か「100」かみたいな判断をせまられるのは、頭をひねざるおえない。とはいえ、仕事では判断し適切な道筋をつけることが求められているので、常に情報を取り込み、瞬時に判断し決断する状況にならざるおえない。まったく忙しない。

その反動なのだろうか。いや、もともと備わっていた人格なのだろう。とにかく、日常では、目に入ってきたこと、耳に入ってきたこと、匂い、味、触感に対して、感情をあまり載せることなく、冷静にたんたんと記憶し続けている。特に、日時と場所をタグ付けして状況を記憶することに関しては、自分でも不思議なくらい過去の膨大な記憶を残している。それをどうやって確認しているかどうかは、簡単で過去のスケジュール帳・日記などで確認している。

記憶の仕組みに多少興味がある人なら知っていることだけど、人は何かを記憶するときに感情とセットにすることで、忘れにくくなるという。しかし、それは単にインタープリターと呼ばれる左脳の言い訳機能を説明しているにすぎない。本来の脳は、状況をただ単に記憶する能力を右脳に持っている。その正確な記憶のディテールを呼び戻すとき、左脳に仕組まれた辻褄あわせの説明機能が運用される。すなわち、ほとんどの人間は右脳に取り込んだ事実の断片を、左脳が勝手に組み合わせ脚色して解釈し、思い込みや幻想、自分にとって都合の良い記憶として出力している。

その機能は一見問題が多く含まれているように感じるが、多様性を生むにはとても都合が良い。なぜなら、全ての現象が現象通り理解すれば、誰が見ても同様の見解になり、自然科学にのっとった極めて合理的な社会が構築されるだろう。しかし、世の中にはいろいろな意見が飛び交っている。

同じ映画を見ても、誰もが自分の感想を持ち、それをお互い話すことで楽しい時間を過ごすこともできる。当たり前のことに感じるが、良く考えてみるとなかなか面白い脳のしくみである。

映画を観て、お互いいろいろな感想を言い合うことに結論なんていらない。ライブを聴いたら聴いた人の数だけ感想があるだろう。それらに正解も間違いもない。本来そういうものなんだ。しかし、こと世の中のこととなると話が違ってくるわけだ。

たしかに、世の中のことであれば、選択をせまられることが多くある。しかし、どの選択も常に時間が限られている。短い時間の中で答えを出さなくてはならないことが多すぎる。(少なくとも僕には多すぎる)

しかし、先に述べたように本来人間には状況をそのまま記憶するシステムが内包されている。それが自然で生き残るために重要だったからだ。しかし、人間は左脳のインタープリターを発達させた。これこそが人間であるゆえんなのではないかと思うし、人間が多種多様な文化をつくりあげてきた理由のひとつなんじゃないかと考える。

そういう意味では、より人間味にあふれ魅力的な人間というのは、ことさらおしゃべりが上手なんだと思う。というか、言うまでも無いことだが、ここはあえて言うべきなんだろう。

多種多様な文化をこれからも続けていくには、答えをすぐに出さないで、人とのおしゃべりの中で多くの感性と考えを共有しあうということが、大切なんじゃないかと思いました。

 ありきたりの結論だけど、そういうもんだね。

世の中に役に立たない仙人思考

「汝己を知れ」と言うが、ぼくは「何も知らない自分を知れ」という意味として捉えている。別の言い方をすれば不可知の考え。結局のところ、何も理解してはいないことをつくづく感じているのだ。世の中を理解しようとしても、自分の都合の良いように思い込んでいるだけなんだと。

そもそも理解なんておこがましい考えなのだろう。科学者として自然を理解したいという気持ちはあるが、自然はそれ自体自然に存在しているわけだし、それを自分とうフィルタをかけて、認知しているに過ぎない。物質は粒子と波の特性をもちえていのは、一見矛盾しているように感じるが、人間の概念で理解できない(難しい)だけで、自然はそれらの性質を内胞し、さらに別の表現方法でも自らの性質をあらわす可能性すら持っているわけだ。

 

それこそ他人を理解するなんて、宇宙の果てをさぐるようなもので、わかるはずもない。ただ、宇宙の果ては「ここ」でもあるので、他人を理解するとは「自分を理解」することに他ならないのかもしれない。とはいえ、自分を理解するのも、たぶん一生かかっても無理でしょうなぁ。

 

まぁ、理解しようとする努力はやめてはならないけど、その理解はあくまでも一部・表面であって、無限に深く広がりを持っているということを肝に銘じ、おごることの無いよう気をつけたいものです。

 

そんなことを考えていると、「まったく自分は世の中に役にたたない人間だよなぁ」と思う。こんな話、ほとんど人はどうでもいいことだもんなぁ。「そんなこと考えてもしょーがないじゃん」って言われても、考えちゃうんだからさぁ。。。


他人に迷惑かけなければいいかな。。。