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主体性が無くても走り続ける理由

先日、市民体育館のトレーニング室にて、大変お世話になった知人に出会った。久しぶりだったのでいろいろとお話しさせてもらった。知人はトレーニングに励み、静岡の某トレーニング施設にまで通ったり、なんとか良い記録・結果を出したいという気持ちがとても前向きに表れ行動している。

一方、自分は走ることやトレーニングについて、なぜやっているのかと問われても答えることができない。とりわけ好きだからというわけでもないし、かといって嫌いというわけでもない。大会に出て良い結果を出すことのためにトレーニングをしていると言えばそうだけど、良い結果を出したい理由はトレーニングがうまくいったかどうかを検証するためで、優勝することが目的ではない。

走ったり・トレーニングすることはヒマつぶしの一種であり、いわゆる趣味なので自分の価値観をうまく表現できることを楽しんでいるにすぎない。他人・社会が決めた価値観は、実社会や経済などでは大切な要素だと思うが、自分の探究心はたいていの人は理解されないし、してもらおうとも思わない。

それがひねくれているとかそういうたぐいの心境ではなく、ひとりひとり自由な考えを尊重しているということの表れだ。誰にもいろいろな考えがあり、趣味・嗜好がある。それらを否定したり批判するつもりは全くない。

よーするに大きな大会で優勝しても嬉しくないのだ。目標を決め・トレーニング計画をたて・短所や長所の分析・改善するためにトレーニングにフィードバックをする。その一連の流れを楽しみたいし、その修正ポイントを明らかにして、改善するという作業にこそ味わいを感じるのだ。その結果、よい記録が出れば「とりあえず、やってきたことには間違いなかったのかな」というくらいには思える。そして、次の課題を明らかにしたい気持ちの方が勝っているし、そこが一番楽しい。

反省することが趣味なのかもしれないな。。。