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トレイルランニングをはじめて思ったこと

いわゆるトレイルランニング・スタイルで山を走るようになって1年ほど経過した。

それまでは年に数度富士登山をしたり、箱根の山々を散策する程度で、山を本格的に走ることはなかった。しかし、このところトレイルランが楽しい。いろいろなスポーツを楽しんできたが、このトレイルランという娯楽はどうやら僕の性格にあっているように感じる。

僕は、高校から20年以上陸上競技を続けている。高校では100m・走幅跳。大学からはキングオブアスリートと呼ばれる混成競技に熱中していた。混成競技のひとつの魅力は走・投・跳という人間の基本的な能力を「バランスよく向上させる」ところにある。足が速いだけではダメ、投げてもよし、跳んでもよし、ハードルもよし、さらには試合までのプランニングやレース戦略やきめ細かいコンディショニングなど。。。そんな総合的な能力を磨くことは、人間としての資質を高めることに役立つのではないかと考えていた。また、単純にいろいろな種目にチャレンジできることがお得な気がしていた。

資質が高まったのかわからないが、30歳のとき10種競技の更に種目数が増えた20種競技でアジア日本記録を樹立し、ひとつの区切りをつけた。それからは、生活の中で陸上競技に対する割合を減らし、高校からの趣味であったロードバイクでレースに出たり、クラシックバレエで再び舞台に立ったりと、いろいろなことをまんべんなく楽しんでいた。とはいえ、陸上競技の試合にはそれなりに出場し続け、35歳以上のマスターズクラスなどにも出場するようになっていった。

そんな中、トレーニングの一環として富士吉田口のうま返しから富士山に走りに行った時、8合目前の岩場で自分と同様に走っている人間がいることに驚いた。こんな3,000mを越すエリアで走るのは自分か陸上自衛隊かよっぽど変人だろうと思っていたから。その人は小柄で丸坊主、腰に小さなバックを巻き、コンプレッションウェアに身を包み、猿のように駆け上がっていった。ぼくはついていったのだけど、後ろから見ている限り、そのバランス感覚、身体の柔軟性、力強い走り、そして求道者のような風貌、まさに現代の修験者のようだった。山頂で姿が見えなくなったが、その素朴で力強い存在感はぼくの目に焼き付いて離れることはなかった。後日、テレビでその方がとある有名なトレイルランナーであることを知った。

 ひとつの理想だった。あんな風になりたいというわけではないが、こんな人がいるこの世界にますます魅力を感じた。それからは、陸上競技のトレーニングがケガなどでできないときに、脚のリハビリをかねてトレイルを走りにでかけたり、純粋に山の景色を眺めたくてトレイルを散歩に出かけたりと、自分なりのトレイルスタイルを築いていった。レースにも出たが、これは自分の性格にあわなかった。与えられたゴールを目指すのではなく、自分で決めたゴールをときおり変更しながら、マイペースでトライする方が性に合っていた。

そんなわけで、トレイルランニングという自然と自由に対話できる素晴らしいアクティビティをこれからもボチボチやっていこうと思った。そして、自分の軸である陸上競技とうまくからめていけたらいいと思った。どちらも楽しいことだから。