FLOW

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時間と空間における居心地の良さと運動

 近所に公園がある。そこにはテニスコート2面と、バスケコート1面、ゲートボール場1面、そしてフットサルくらい余裕でできそうな芝生広場がある。遊具も少しだけど存在している。夏にはせみの鳴き声がひびき、子どもたちの声と一緒になって、一番楽しかったあの夏を思い出すこともしはしば。

 早朝や夕方、ぼくは少し時間が空いたとき、その公園にぶらっと出かける。目的はたいてい軽い運動をするため。ジョギングしたりトレーニングするときは、それなりに準備して、それなりの場所へ出かけるが、この公園に向かうときは、もっと気楽な運動がしたいときだ。

 で、そんなときはまず高鉄棒にぶら下がる。そして、懸垂をする。手の位置を変えながら10回とか20回とか。ぶら下がりながらレッグレイズしたりもする。鉄棒で一通り遊んだら、次は芝生広場を歩く。ゆったりと足の裏から入る感覚や身体の感覚を楽しむのはもちろん、太陽の高さ・風の向き・子どもたちの声・ベンチに座るお年寄り達の会話と表情、それらを常に認知しながら、心地よいと感じるスペースを発見し、そこを感じ取りながら歩く。歩くだけならどこでもできるけど、居心地の良いスペースを掴みながら、それらに自分をフィットさせながら、空間と空間を繋いでゆく。それが僕にとっての散歩でもある。

 散歩に限らず、トレーニングと呼ばれる身体運動のほとんどが、僕には居心地の良いスペースを連続して感じ取る作業に他ならない。混み合っている競技場で走るトレーニングを行うとき、誰しもが他人がいない場所を走る。風が追っているのか、向かっているのか、コーナーを走るのか、直線を走るのか、団体で走るのか、一人で走るのか、タイムトライアルをするのか、軽く走るのか、それ目的ややりたいことによって、走る場所・レーンを選択するのは、何も不思議な事ではない。

 しかし、その感覚を意識して楽しんでいる人は少ないのかもしれない。走るスペースを探す行為は、単に走るための場所を探すためだけに考えているのが大半だろう。ぼくにとっては、自分がやりたいことにフィットしそうな場所を、できるだけ丁寧に観察し、五感をフルに活用し、納得できるスペースを選択し、実際に走るということは、居心地の良さという概念のもとに成り立つのである。

 それは、単純にいえば、カフェに入ったとき、どこの席に座るかを決める行為であるといえる。誰だってカフェに入ったら、自分がいちばん居心地の良さそうな席に座る。そこで、読書をしたり、お友達とおしゃべりをしたり、PCを開いて仕事みたいなことをしたり、ただぼーっとしたり。。。そんな当たり前の選択を誰もがしているはずだ。

 ぼくは、トレーニングと言うか身体運動に関してもその居心地の良さを感覚的にとらえながら楽しんでいる。こんなこと、ほとんどの人が理解してくれないだろうけど、カフェのたとえなら理解してくれるのかな。

 僕にとってこの居心地の良さという概念は、トレーニングやカフェだけではなく、車の運転や、電車の座る位置、食事の配膳、スケジュール管理、音楽のアルバムなど、それらすべての空間と時間を扱う状況や現実において、必ず作用している原始的な行動原理だと思っているし、その感覚を常に磨くことを忘れないでいる。