FLOW

陸上競技・ロードバイク・トレイルランニング・エストレヤ・旅・FLOW・物理学者(量子力学・量子生命科学)

どうやって暮らしてゆこう。。。

なかなか物騒なタイトルだけど、ほんとどうやって暮らしてゆこうか模索中の日々を過ごしています。

ぼくは一応会社員ですが、はっきり言って全く向いていません。会社の理解不能なルールを理解不能のまま遂行することができない不器用な人間です。これはつまり一言で言えば「社会不適合者」です。要領が悪いアホな自分は、目的に対して合理的でないルールづくりの意味を見いだせないばかりか、それに従うことも非常に苦しい性分です。また、問題や懸案事項の原因を深掘りしすぎるため、他の社員と思考フェーズが合わないのも苦労しています。ぼくから見れば皆の意見は浅いところをウロウロしているようにしか聞こえないから、同じような質の問題ばかり発生しています。いろんな事象を抽象化し共通の部分を見出すことができないようです。それでは根本的に解決できないだろうな、といつも思ってしまいます。

目的に対して非合理的なルールを遂行するのでさえ納得がいかないのに、思考フェーズの合わない他の社員の仕事をするというのは、まるで旅先を決定するだけでも時間がかかり、決まった旅先の行き方で議論し、決まったかに見えたところ、行き先がまた変更して、それらの経緯を報告書にして、いちいち変更届を出して、また最初からプランをやり直しみたいな堂々めぐりのようでやってやれません。これはもうコントです。しかも笑えないからたちが悪いです。

納得のいかないルールは世の中にたくさんありますが、自分と関係ない世界に対してはあまり気にしない性質のようです。また、関係のあるルールにしても、法律というルールに対しては非常に素直に従います。法律はそういうもんだと理解しているからです。法律が合理的でかつ誰にでも平等とまでいきませんが、成立には民主的な手続きが必要ですし、変な法律があったとしても、この国に所属している限りそれを守るのが義務ってもんだと理解しています。

では、会社も理不尽だろうが、非合理的であったとしても、無駄なことだと分かっていても、決められたルールに対して割り切って従えばいいのでしょうが。。。

ぼくは会社は自分の目的を達成するためのフィールドだと考えています。会社は自分の目的のために存在しているのであって、会社のために仕事をしているわけではないと思っています。だから、自分の目的と会社の目的が一致していなかったら、そもそもその会社にいる必要はなくなります。会社側からしてもそうでしょう。たとえ会社と自分の目的が一致していても、プロセスや結果が第三者から評価をもらえないのであれば、その会社内だけでしか通用しないものになってしまい、井の中の蛙状態になってしまい個人のキャリアには繋がらいです。

そういうわけで、僕は常に外部に発表しても恥ずかしくない論理的思考による説明や報告書を書き、外部に対して十分認めてもらえるような特許や論文を書こうと努力しています。そのためには、科学的手法に基づいた実験結果から分かる事実の積み重ねによる丁寧な考察が必要です。そこには非常に合理的なロジカルが必要になってきます。仮説を立て実験や検証を行い事実を積み重ねる手法を丁寧に行いたいと思っています。

だけど、この会社では無理と感じています。逆にそんな理解ある会社はなかなかあるものじゃ無いでしょう。やはり会社は理不尽な結果主義なのかもしれません。プロセスより結果です。その結果も予定されているゴールに向かっているだけですし、予定調和のなにものでもありません。新しい発見とは常に予想を超えたところにあるものでが。。。

しかも目的とプロセスがいいかげんだから問題が発生すればすぐにてんやわんやになってしまいます。そして、その繰り返しです。たとえ、ぼくが将来こうなるだろうと警鐘を鳴らしても、声の大きい人間にかき消されます。そして、やっぱりそうなるよね、と呆れることになります。もうこんなサイクル飽き飽きしたね。

僕は子供の頃から不思議とカンが良くて、このまま進めればあとで起きるだろう問題を感知することができました。人のもめごともそうですし、旅行先で起きること、遊んでいて誰がケガをして大騒ぎになること、数時間後の天気など。おとなになってからは、株価や為替の変動、スポーツの試合結果、数日以内に車をぶつける人、事故をおこす日などがなんとなく分かりました。こういう感みたいなことは、誰にでもあることだと思いますが、ぼくはそのパワーがちょっと突出していたのかもしれません。ただ、もちろん人には言いませんでした。そんなこと言うとたいてい嫌な顔をされるのを分かっていたからです。子供の時ウェクスラー式IQが高いことで騒がれたこともありましたが、狭い知性の数値化なんてアホなオトナがいかにも好きなネタだと思っていました。出る杭はボコボコにされます。

未来に起こりそうな問題に対して、声を大にして警鐘を鳴らし、みなを説得することも可能かもしれないけど、そもそも僕は声が大きい人は嫌いだからそれは無理と言うものだ。それに当たり前だけど全ての直感が当たるわけではないし、細かいプロセスを説明することもできないから、ダメだったときの批判がすごくなってしまう。「お前、よくわからないこと言うなよ」的空気に変わってゆく。そういう環境にいれば、もう発言はやめておこうと思うようになる。あとで問題が発生した時、心の中で「やっぱりね。そりゃそうだよね」と思う人間へと変貌してゆくのだ。まったくもってクズ野郎だと自分で思う。

しかし、過去所属してきた会社や組織では、ぼくの発言はそれなりにみんなに受け入れてもらえた。声がとりわけ大きかったわけでもないし、性格的に威圧的な態度であるはずもない。ただ、自然な感じで自分の思いを伝えれば、周囲の人間が「なるほど、まぁそれもいいね」という感じで取り入れてくれたり、「今回はよそう」とかやんわり拒否されたりと、どちらにせよちゃんと意見を聞いてくれた。一言で言えば、どんな人間の意見も耳を傾けてくれる、平等で懐の大きい方々であったと思う。

人生の中でそんな人間的にリスペクトできる方々とばかり付き合ってきたので、それが普通の大人なのかと思っていた。しかし、実は今までお世話になってきた方々が特殊だったんだと、ようやく知った。今までずいぶん恵まれていたのだと思った。そんな人間的にリスペクトできる方々とは、今でも交流させてもらっており、ほんとうにありがたいことだと思う。

自分の未来に希望が持てない現状をうけ、これからどうしようと考えていた。一度きりの人生をこのままつまらいフィールドに身を置き続けることは、この世に生を受けることができた幸運をドブに捨てるようなものだ。

このままこの会社にいても自分の10年後の目的は達成できないし、人生の大きな目標からもだいぶ外れてしまっている。いろいろ考え続け友人やカウンセラーの先生とも相談した。正直、答えは簡単なことなんだけど。。。

簡単なことと、現状の問題(生活するための金銭)を天秤にかけ、とりあえず当面は給与分の仕事をしながら、信頼できる仲間と次のことを始めてゆこうと思う。

これからもワクワクした人生を家族とともにおくるためにも、人生は自分でコントロールすべきであるから。