FLOW

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感情に訴えるSNSとの距離感

FBがつまらないなぁ、と思うようになって数年。

と、思いながらも、遠い友人たちへ向け「息災」であることを伝える手段として、今も利用している。まだ陸上やってるよ、家族でちょっくら旅行に行ったよ、子供が成長したよ、そんな友人くらいしか興味が無いような内容の投稿をしている。赤の他人が読んでも「つまらん」というのが、ぼくの投稿の基準だ。

そんなわけだから、他人様の投稿をじっくり見たり・読んだりすることはほとんど無くなった。親しい友人たちの「家族の近況報告」や「元気でやってるよ」的な投稿は、ほほえましい気持ちで読むことはあるけども。。。

そんなローカルでほほえましい投稿以外で、FBで目立つようになったのは、煽りフレーズ・パワーフレーズによる感情に訴える投稿だ。

奇跡・ありえない・最高の・いまだかつてない・信じられない など。。。

感動したことを素直に書くことは良いことだし、読んでいて気持ち良い。ただ、その感動を「あなたにも!!」とおすそ分けして頂くことが多くなってきた感がある。「こんな素晴らしいモノがあるんですよ! あなたもやっみよう!!」的な、ちょっとおせっかいだなぁと思える投稿もある。

それも自分が運動が好きなのもあってかフィットネス系、健康関係に多い気がしてならない。「ありえないくらいの感動体験」とか言われても、むしろひいてしまう。毎回、ミラクルなできごとって言われても、毎回ミラクルならそれ普通でしょと、誰もが思うツッコミを入れたくなる。

フィットネス系や健康関係以外の分野でも、こんな「感動の押し売り」はそれなりに横行しているのかもしれない。政治活動においては煽りフレーズによって感情に訴える手法は常套化であるし。。。

先に挙げた安っぽいフレーズは序の口だが、もっと人々の行動まで煽るようなフレーズが横行している状況に危機感を感じている。このようなフレーズを多用している文章は、じっくり読めば内容はすっからかんで、なんだか良くわからないことが多い。すっからかんな内容なのでさほど興味が湧くわけでもないのだが、こんなあおりフレーズで「なんだかよさそう」というイメージを植え付けられる人がいるのだろう。いるから成立するわけだから。ぼくには興味のない世界であるが、理解はできる。

情報に踊らされるとはいうが、こんな「感動の押し売り」は情報のレベルに達していない。リテラシー以前の問題だが、他人様のリテラシーをあーだこーだと言うタイプでもない。自分がどうだか良く分からないけど、少なくとも「煽りフレーズ「パワーフレーズ」に対しては、正直気持ち悪い。

素晴らしいものは、あなたにとって素晴らしいのだから、あなた自身で感動を味わえばよいのだ。ただ、感動の共有をしたいがために、必要以上に「感動したことを強調」されても、むしろ相手に伝わらないと思うのだが。。。

感情に訴える手法によって、正しい判断ができなくなることは、歴史や政治において明らかである。SNSの拡散はデマやウソを平気で信じ込ませる強力なツールになる。すでに米では民主主義がSNSによって正しく機能しなくなってきたという。

人間は感情の生き物であるが、それと同時に理性と思考の生き物でもある。理性と思考は、人間の成長に大きく寄与し社会性と個人のバランスを正常にする。その感情と理性のバランス感覚が、人としての信用や信頼につながってくると思う。そういう人の意見や発言をぼくは信用するようにしているが、どうやら一部の人々は感情に訴えられた発言の方を信用する傾向があるらしい。まったく、おそろしいことだ。

というわけで、SNSはよい距離感を保ちながらつきあっていくべだし、感情に訴える系の投稿をしている人は一歩ひいて見ていこうと、あらためて思うのでした。