FLOW

陸上競技・ロードバイク・トレイルランニング・エストレヤ・旅・FLOW・物理学者(量子力学・量子生命科学)

普通自動二輪 第1段階おわり

みきわめでなんとかオーケーもらいました。

 

風が強く一本橋に若干の不安がありましたが、ニーグリップで車体の重心と自分の重心を合わせるというアドバイスと、柔らかいハンドル操作を心掛け、なんとかオーケー。ただ、スラロームの前で一時停止せざるおえなかつたため、若干スピードが足りない感じでしたが、その前の練習走行で安定していたということで、ギリギリおーけーもらえました。

 

あと、ちょっと苦手な坂道発進も、教官から「あらてずにクラッチを徐々につなげていけばよい」というアドバイスのおかげで、5000rpmも回さなくても発進できるようになりました。くるまのときも坂道は苦手だったのを思い出しました。という感じで教官の適格なアドバイスのおかげで、事故もなく時間も超えることなく、2段階に無事すすめました。

 

それにしても、やはりプロのアドバイスは実践的で即効性があります。自分でなんとかがんばろうとしても基本が分かっていないので、どうあがいたって成長はのんびりです。センスがある人は別として、自分のような不器用なタイプでは教官の一言がないと、たぶん時間オーバーになっていたでしょう。コツコツやるのは好きなので、教官に言われたことを地道に繰り返すのが楽しかったです。

40歳から手習い 普通自動二輪免許取得へ

バイクには特に興味がありませんでした。高校生の頃、仲間が二輪免許をとって箱根へツーリングに出かけていくのも、とくに何も思うこと無く日々のトレーニングに励んでいたものです。そのときの反動というのか、最近なんとなく「かっこいいかも」「40歳になってバイクっていいかもな、のんびりやってみよう」という心境になった自分がいました。なかなかおもしろい心境なので、その心の声に素直に従うことにしました。というわけで、突然「普通自動二輪」の免許取得のため、教習所に通い始めました。

 

その教習所です。くるまの免許以来ですが、学科が無い分ひたすら実技だけなので気が楽です。また、教習の先生たちのポイントを押さえた指導のおかげで、それなりにうまくなってきている自分がいておもしろいです。たとえば、最初はギヤの並びで混乱、なぜ一番ダウンしたところが1速で、ちょい上がニートラル、でその上が2速って。。。教習がすすむに連れ、なるほどこれは考えられていると分かるわけです。操縦技術に関しても、ロードバイクで体重移動やロックさせないブレーキング感覚があったおかけで、はじめての急制動でも問題なく止まれて少しほっとしたりと。まぁ、調子に乗らずコツコツやっております。

 

で、買うバイク。実はまったくバイクの知識がなく、とりあえずバイクといえばホンダな気がしてネットで下調べしたもののピンときたものがありませんでした。あと思いついたのは、なんとなくカワサキ。そこで見つけたピンときたやつ、それが「エストレヤ」でした。

 

このエストレヤってやつはとにかくスタイリングが自分好みでした。他の「走るぜ!」ってバイクは興味がもてなく(たぶんレーシーな感じはロードバイクでおなかいっぱい)、のんびり田舎の道を走ったり、西伊豆の夕陽でも眺めながらとか、そういうイメージにぴったりでした。

 

数日後、早速ショップに向かい展示されていたエストレヤとご面会。あー、こりゃかっこいい。クラシカルな感じがいいねぇ。つくりもなんだか贅沢。細部に丁寧な仕事を感じます。しかも空冷・単気筒じゃないか?! 今時のバイクって全て水冷で2〜4気筒が普通だと思っていたので衝撃でした。だって、カブじゃないっすか。。。空冷単気筒って。。。

ショップの方から空冷単気筒の特徴を教えてもらい、なるほど納得。バイクの鼓動を聞きながらのんびりトコトコ走るには良い特性のエンジンであるのですね。まさに自分の求めていたフィーリングです。ただ、試乗ができません。免許無いもの。。。


「じゃあ、これ買います」

 

どうしてそうなったか分かりませんが、とにかくエストレヤ以外を見る必要が無いと思ったようです。衝動買いってやつです。自賠責5年です。現金一括です。なんせロードバイクより安いわけですから。エンジンついててコミコミで60万弱ってお得じゃーん。。。

いや違う!! ロードバイクがアホみたいに高いんだ!!  

まぁロードバイクの価値観とバイクの価値観は違うだけなのだ、異なる価値観を共存できる私はやはり自由人だ、と勝手に前向きに納得したところで、帰路につきました。

あとは免許とるだけです。

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※エストレヤは写真の赤を注文しました。紅のブタのイメージです。

HELSINKIの旅 その3

競技2日目。
残り7種目。前日の疲労は思ったより無いようだ。これも80%出力のおかげか。。。
全力出してケガをすれば、他のパフォーマンスが著しく落ちるので、このまま怪我なく最後まで走り抜こうと思った。
混成種目ってのは最後まで走り抜くことが最も評価されることだ。
誰でもチャレンジはできても、最後まで走りぬいて笑っていられるのは難しいからだ。

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・60mH 1台目までのアプローチがきまらないが、リズムを取り戻してなんとかゴール。最後はバウンディングになってしまった。走力が足りないのは否めない。

棒高跳 練習ではポールを曲げて突っ込めたが、バーが高くなるに連れてジャンプの角度が上向きになってしまうという悪い癖が出て、最後は助走まであわなくなって撃沈。基礎から練習しましょう。

・200m 得意種目であるが練習をしていなければ、ラスト50mの失速は著しい種目。ロスを最小限に抑える技術で150mまではそこそこのスピードだったが、ラスト50mは減速が大きかった。減速動作はより減速を生む負のスパイラル。とりあえず、リラックスしてにこにこ走った。ケガってのは力んだときに発生しやすい。こういうときはニコニコすればいいと思っている。

・重量投(15kg) こんな重いものどうやって投げるんだ? しかし、外国人は強い。基本的なパワーが全然違うことを実感。あんなめちゃくちゃな投げ方で飛ぶんだから、技術も大切だけど圧倒的なパワーの前では為す術なし。とりあえず、自分のカラダでできうるかぎりがんばった。

・1500m 本来の10種ならこれでラスト。気合が入らないのが功を奏して、たんたんと走った割にまぁまぁのタイム。何事も力まないことが大切ですなぁ、と。

三段跳 ケガが無い状態でもここまでくれば誰でも疲労やら腰痛やらできつい。そんな疲労困憊満身創痍なところへこの仕打。三段跳の身体へのダメージは計り知れない。恐ろしいので、そーっと跳んだ。

・5000m 200mトラックを25周。気が遠くなるけど、ひとひとつ周回を重ねることに集中した。というより、ただひたすらぼーっと走った。もう少しがんばれたかもしれないけど、走りながら思っていたことは「これで開放される」ただ一点のみ。がまんがまんの走りだった。

そして14種目が終了した。
結果は3位だった。

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5位くらいだったと思ったけど、三段跳、5000mで2名をぬいたらしい。最後まで気負いなくひとつひとつ積み重ねた結果だった。走高跳は0点だったけど、そこで試合を放棄すること無く、ひとつひとつできることを楽しめたことが最後の逆転に結びついたのだと思う。ケガも酷くならなかったことがそれを証明していると思う。無理をしていたら大きなケガに発展していただろうから。


また、20代の選手たちと対等(だと思うが)に競技ができたことは自信に繋がった。40歳でも(技術だけではなく)体力的に20代と競り合えたことは、トレーニングの方向性が間違いではないと確信に変わった。
とはいえ、不完全燃焼であったのは否めない。表彰台に上がっている時、もうすでに気持ちは次の大会に向けられていた自分がそこにいた。
2017年夏、ロンドン。20種の世界大会へ。。。

 

2日間で仲良くなった選手たちと記念撮影をして、お互い連絡先を交換し、会場を後にした。


ヘルシンキの街へ向かう地下鉄の中で、じわじわ感じるものがあることに気がついた。
何か目標を持ちそれに向かって生きることは素晴らしい。
だけど、そこに縛られるのは苦しい。自由を失ってしまう。
苦しいことを超えた先にあるものを手に入れようとしていたわけじゃないけど、いつのまにか自分の生き方はそうやって壁を超えることを積み重ねて生きてきた。
壁の向こうの景色は、ぼくだけが見える世界。
その世界はとてつもなく広く自由だった。
銅メダルの入ったバックを眺めながら「これからもそんな自由な世界を行きてゆくんだろうな」と思っていた。

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HELSINKIの旅 その2

翌日は時差ボケを解消するため朝から観光へ。

トラムと呼ばれる路面電車にのり街を一周、説明付きのサイトシーンバスに乗りまたもや街を一周、大きなサーモンをはじめなかなかの種類の魚介類がならぶ市場をうろつき、古いザ・ヨーロッパの町並みを散策して、見るもの食べるもの全てが新鮮な気分にさせてくれた。夕方からは試合会場で軽く1時間ほど汗を流した。会場は当然室内でバンク付き200mトラック、80m直線走路、棒高跳や高跳の施設、走幅跳三段跳のピット、砲丸投やり投げ、円盤投げの練習サークルのみならず、バスケコートやボルダリング施設、ホッケー、体操、ボクシング、卓球などが可能で、20℃前後に調整された快適な空間。フィンランドは冬が長く屋外が使えない時期が長いためとはいえ、大変りっぱな施設だった。

翌日。

競技開始にあわせて会場入り。最初の種目は60m。右のふくらはぎが完治していないため、テーピングとサポーターで十分な圧迫をした。とにかくケガを悪化させないよう7〜8割ほどのチカラで最後までもたせるつもりだった。ただ消極的なレースという意味ではなく、できることをしっかりやる、無理をしないという考えのもとだ。

20代の若い選手の中、自分だけ39歳。しかも2日後には40歳。40際は、50・60代の方々にはまだまだ若いとよく言われる年代だけど、20代の現役選手たちと同じフィールドで戦うことは、言うほど優しいものではない。そんなこというのなら、あなたが40歳のころ、体脂肪が5%で20代の選手とガチンコ勝負していたのか?と意地悪に思ってしまうこともある。それはさておき、自分にとって若い人と競技をするのはとても楽しいという話だ。

前置きはさておき、60mではスタートが出遅れたが、その後はスムースに加速に乗り、平凡なタイムでゴール。痛みはないし悪化した感じもない。この程度の出力であれば最後まで持ちそうな感覚も得られたので、少し気が楽になった。

走幅跳は得意な種目の一つのハズだが、足の具合をきにして助走速度が上がらない。3本とも3cm以内におさまる超安定ぶり。さすがキャリアだけは27年。

800mは200mトラックを4周。聞いただけで疲れたが、走ったらもっと疲れた。

砲丸投はとにかく気合。肩がようやく完治したところなので無理はしない。ただ雄叫びはする。

400mは得意種目とはいえ練習していなければただ苦しいだけの種目。もちろん苦しいだけで終わった。

走高跳は記録なし。練習で跳べた高さが本番で跳べないという初心者あるある。混成競技は絶対に跳べる高さから始めるというセオリーを完全に忘れていたキャリアだけ27年の男。

3000mで少し挽回しようとがんばったらハムがつってへんてこな走りに。走りながらなんとか治して、ギリギリの状態でゴール。

1日目が終了して6位。ケガは悪化していない。明日もこの調子ならもちそうだ。高跳0点は痛いけど、くよくよする性格ではないので、むしろやる気が出てきた。

さっさとホテルに戻って洗濯してストレッチして寝よう。

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HELSINKI の旅 その1

2016.4.7  成田→HELSINKI

2年に一度行われる室内14種陸上の世界大会のためHELSINKIへ向かった。
成田から9時間のフライト、ヘルシンキ・ヴァンター空港へ到着。
空港からFINAIRのバスに乗って30分、ヘルシンキ中央駅へ。そこから、5分ほど歩きホテルについた。
ヘルシンキの町はいわゆるザ・ヨーロッパの町並みと呼べるものの中に、どこかロシアの雰囲気がミックスされ、白い雲と青い空がとても印象的な街だ。石畳とトラムと呼ばれる路面電車がまた良い。

とりあえず写真から。

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