そうやって暮らしてゆこう

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エストレヤで南伊豆へ 冬でも楽しいね

エストレヤで南伊豆に行ったら、寒かったけど楽しかったなぁという普通のお話です。

自動二輪免許を取得して2回目の冬を迎えました。昨年は冬にバイクを乗るなんて狂気の沙汰だと思い、ほとんど乗りませんでした。今年も、昨年同様ほとんど乗っていません。しかし、冬のツーリングの定番が伊豆半島であることを知り、その伊豆半島の根っこに住んでい者としては「じゃあ、ちょっくら行ってみるか」という気分になったというわけです。

さっそく、10ヵ月ぶりのオイル交換をお願いしにカワサキプラザNUMAZUへ。久しぶりの店長さん、相変わらずさわやかイケメンです。帰りのエンジン音がマイルドになった気がしました。

オイル交換の翌週の朝、いそいそと準備です。ヒートテック、フリース、ユニクロダウン、そして秋に購入したTAICHIの革ジャケを着込みます。温泉セットと建築家内藤廣氏の本をミニフィールドシートバックに詰め、エストレヤのリアシートに装着しました。

7時30、長泉の自宅を出発、まずは熱函道路で熱海へ向かいます。道路の凍結が怖かったのですが、そこまで冷え込んでいなかったので大丈夫でした。TAICHIのジャケットも暖かく、問題なさそうです。中に着ているユニクロダウンも効果的だったと思います。

熱海峠からの下りはいつも後ろの車に煽られるへたれライダーですが、この日は車の数が多く軽い渋滞状態でしたので、2速固定でじわじわ下ることができました。

熱海のコンパクトな町をぬけ、伊豆の東海岸を南下しました。東海岸は伊豆西海岸と違って道幅は狭く、開放感という点ではイマイチな道でしたが、それなりに楽しめました。20年以上前の高校生の時、ロードバイクで伊豆一周しているとき、道路の狭さのため車の恐怖を感じていたことが思い出されました。そのまま、懐かしい気持ちで南下してゆきました。

伊東をスルーし、稲取の海岸線に少々興味がそそられつつも、とりあえず南下。バイクって一度走り出すと止まるのが意外にめんどくさいものなんですねぇ。指先の寒さに耐えながら、河津町ファミリーマートまでがんばりました。ここまで2時間ちょっとでした。

ファミリーマートでバイク乗りさんに声をかけられました。グリーンを差し色にスマートにカスタマイズされた忍者250がかなりクールでした。お話が弾み1時間くらい立ち話。連絡先も交換して、今度ツーリング行きましょうとなりました。誰かとツーリングに行ったことが無いので、春になったら是非一緒に行きたいと思います。

下田へ向かう途中でねずみ取りをやっていましたが、いつもの場所ですしそもそも飛ばさないので、なんなくスルー。後ろの車が少々煽っていましたが、そういうことですよ〜と。

下田の街に入ると急に明るい雰囲気になります。今日の目的は南伊豆なのでそのままスルー。のんびり街道をゆき、11時30に南伊豆の弓ヶ浜に到着しました。この時期はあまり人がいないので、とてものんびり過ごせます。

缶コーヒー片手に海を眺めながらのんびりしました。内藤廣氏の本をパラパラ読みながら、あっというまに時間が過ぎます。隣接している南伊豆会館の温泉に入る予定でしたが、太陽の暖かさでポカポカになったので、今回はやめました。これだけ着込むと、着替えるのが、なんだかめんどくさいって気持ちも理由の一つでしたけど。

1時間30くらいぼーっとして弓ヶ浜を満喫できました。

その後、伊豆の真ん中の道を通って帰宅しました。

途中、東府やでカレーパンなどを大量に買い込み、妻へのおみやげとしました。

というわけで、のんびり南伊豆を満喫でき楽しいツーリングとなりました。冬も防寒がしっかりしていれば、楽しいものだと分かりました。伊豆が暖かいのかな。

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迷わず行けよ 行けば分かるさ 陸上20種競技

さぁ陸上20種競技をやろうぜ !! マイナーだけど気にすんな!! という話です。

 

陸上20種競技というのは短距離、長距離、跳んで、投げての競技を2日間朝から晩まで(だいたい12時間くらい)ほとんど休憩なしで行う競技です。日本では陸上マニアやちょっと変わった人くらいにしか知られていないスポーツです。いや修行と言うべきかも。

以下競技種目です。

 ・短距離  100m 200m 400m

 ・中距離  800m 1500m

 ・長距離  3000m 3000m障害 5000m 10000m

 ・障害   110mH 200mH 400mH

 ・投擲   砲丸投 円盤投 やり投 ハンマー投

 ・跳躍   棒高跳 走高跳 走幅跳 三段跳

注目すべきは3000mと3000m障害です。同じ距離なんです。もう一緒にしてくれと言いたくなります。

 

2日間、全力で競技を20個もするわけですからケガのリスクも高く、言うまでもなく大変疲れます。競技前半では元気だった選手たちは、競技終盤にもなればほぼ無口となり、次の競技へトボトボ向かう姿はまさに奴隷のようです。

 

2日間の奴隷生活を終える頃、つまり試合終了後にはほとんどの選手は「もうやらない」と言います。ただ、たまに「またやりたい」という変態もいます。奴隷に何かを見つけてしまった人種です。僕もその中のひとりだったわけです。

 

「またやりたい」と血迷ったことを思った選手たちは、なぜまたやりたいと思ったのでしょうか。そのほとんどの理由が超絶達成感だと思います。これ以上の達成感は他のスポーツではなかなか味わえないと思います。この過酷さを超えるスポーツと言えばトライアスロンウルトラマラソン系くらいなものでしょう。またやりたいと思った選手たちは、ゴール後の特別な充実感を再び得たいという気持ちが大きなモチベーションとなっているのかもしれません。

 

一方、僕自身、初めての陸上20種競技の終了後、正直達成感はほぼありませんでした。当時のアジア記録を更新したにもかかわらずです。なぜなら競技の途中から疲れと身体の痛みで、手を抜いて競技をしていたからです。自分にウソをついて適当にほどよく競技をしていたわけです。2日間、全力でやり切ることができなかった。胸を張ってやり切ることができなかった。つまり本当のバカになれなかったのです。

 

本当のバカとは、それはつまり「どんなことでも胸を張って、自分に正直に生きること」です。つまりサウザー様の名言「退かぬ 媚びぬ 省みぬ」です。誰かに後ろ指をさされようとも、世間の意見を気にしないで、心の底からあふれでる動機に対して正直にストレートを投げられるかどうかです。

  

サウザー様まではいきませんが、誰にも言い訳せず、なにより自分に言い訳をしない生き方しかできなかった自分ですが、なぜか20種競技のときは守りに入ってしまいました。過酷さから逃げたいという気持ちから、へらへらした態度をとってしまいました。だからこそ、もう一度試合に出てやり切りたいと思います。そして、バカな自分を取り戻したいと思います。

 

マイナー競技に打ち込んでいると変人扱いされます。そこで、気持ちを下げる必要はありません。そのときこそ堂々とすべきです。バカになって打ち込めばいいのです。言い換えれば、マイノリティであってもマジョリティに飲み込まれる必要はないってことです。

 

マイナーな陸上20種競技を続けて行くということは、マイノリティとしての存在価値を証明することだと、最近思うようになりました。とにかく、ずっとそうやって生きてきたんだから、これからもそうやって生きていこうと思います。

2連発だよ世界選手権 2018

あけましておめでとうございます。

早速ですが、2018年はWorld Championshipに出場して優勝を目指すとう話です。

 

まず、4月は室内陸上14種世界選手権@ヘルシンキ、8月は陸上20種世界選手権@デルフトです。目標は「2大会優勝&世界記録(M40)」です。

すごいように聞こえたらシメシメです。本当のところは自分でもよく分かりません。だけど、男なら胸を張って言えることが大切だと思っています。だから言います。

 

 「優勝して世界記録(M40)目指します」

 

ところで、室内陸上14種競技も陸上20種競技もマイナー競技です。日本での競技人口は少ないです。しかも今回はマスターズです。マスターズとは35歳以上の競技者で、5歳きざみでグループ分けされています。41歳のぼくは40〜44歳のM40クラスとなります。

ようするにマイナー競技をおっさんが頑張るという話です。誰が興味をもつのでしょうか。でも、海外のおっさんは強そうです。パワーもスタミナもデカさも日本人とは比べ物になりません。これは確実に強いでしょう。そんな彼らと一緒の競技会で競技をして、No1を獲ったらなかなか痛快だと思います。

こんな痛快なことを独り占めしてもいいんですが、せっかくなので広めていこうと思いました。マイナー競技だからこそ知ってもらうチャンスがあると思っています。

マイナー競技と違って、メジャー競技は誰でも知っている分バリューがあります。でも、メジャー競技でNo1になるには、なかなか大変です。例えば宝くじで当てるようなものです。

誰でもメジャーNo1を目指してもいいけど、例えばメジャーリーガーになれるのはほんの一握りの人間だけです。プレミアリーグやスペインリーグなどヨーロッパのサッカーリーグで活躍できる日本人も多くはなりましたが、やはり一握りの日本人だけです。

宝くじは誰でも夢を買えます。どこかの誰かは必ず当たります。でも、当たる前提でフェラーリを予約するわけにもいかないし、普通の生活費とするわけにもいかないし、当たる前提で仕事をやめるようなバカはいないでしょう。やはりこれは夢なのです。メジャーに憧れるのはいいけど、夢に終わる可能性の方がはるかに高いということです。

でも、マイナー競技には現実があります。マイナー競技の感覚は、宝くじでは無く投資です。知られていないからこそ、知ってもらうことができます。知ってもらうというリターンが大きいです。大きなリターンは伸びしろです。まさに投資です。そして、今や知ってもらうための環境は十分整っています。そうです、言わずもがなネットです。

ネットはメジャーです。最初から国内どころか海外へ発信することができます。ネットはパワーです。クラウドファンディングによる資金集めができます。動画配信によってアイデアやパフォーマンスをダイレクトに伝えられます。プレスリリースを使ってニュースサイトへの掲載もお願いできます。個人で企画をし営業をかけることができるわけです。

自分が好きなことをコッソリやってきた人生ですが、このおもしろさを少しでもおすそわけさせていただこうと思いました。いや、胸を張って伝えます。この競技はバカでおもしろいぞ!、と。

というわけで、おもしろさを伝えるためにプロジェクトチームを立ち上げました。それぞれのプロフェッショナルの集まりです。プロフェッショナルな彼らは守りには入りません。おもしろいことに常にアンテナを張っている人たちです。そして、自分の能力を使う場所を探しています。僕はジェネラリストとして、彼ら仲間にその能力を思う存分発揮していただきたいと思っています。ぼくは、リーダーでありますが、被験者であり、まさに助けてもらう側です。彼らに出会えたことを彼らのご先祖様に感謝したいと思います。

次回は、どんなことをしてゆくのかをお伝えしようと思います。

動物と人間の輸送コストの決定的な差

輸送コストとは移動の効率を表すシンプルな概念だ。横軸が移動速度、縦軸が移動にかかる単位時間あたりのエネルギー消費量示すグラフのことだ。ほとんどの生物はこのグラフはU字型を描く。U字の底がいわゆるスイート・スポットと言い、最も効率の良いことを表す。つまり、その速度であれば移動距離に対して最小エネルギーで移動できる。簡単に言えば、車の場合60〜80km/hくらいが最も燃費が良いということだ。このU字型グラフを見れば、ほとんどの動物の各種移動速度は、最も効率の良いエネルギー消費で済むようになっている。それぞれの動物の移動速度が異なるのは、その速度がその動物にとっては最良の燃費で移動できる速度ということだ。つまりそうやって進化してきたのだ。

しかし、人間はこの法則が歩くときにしか適用されない。人間は歩く速度(ほぼ5〜7km/h程度)が最もエネルギー効率が良い移動ができるのだが、走ることになるとグラフはU字型からフラット型になる。つまり、エネルギー消費に関して最適の速度が無いということだ。人間にはなせスイートスポットが無いのだろうか。走ることに関して、どのスピードで走ろうが燃費は本当に変わらないのだろうか。それは進化にとって適切だったのだろうか。

この問題は種による違いではなく、個体差で説明ができる。人間の場合、非常に個体差が大きいためサンプル数を平均した結果フラットな直線になってしまったというわけだ。人間は個体差が大きく、エネルギー効率はトレーニングや身体の状態、運動経験によって大きく左右される。

もっと興味深いことは、からだにある個々の筋肉にいつも言えることだ。使う筋肉とエネルギー効率は活動によって異なる。同じ走ることでも、階段を走ったり、丘を駆け上ったり、砂浜を走る場合では、使う筋肉も異なればエネルギー効率も異なる。また、投げる、打つ、泳ぐ、登る、こぐ、回るなどあらゆる活動においても、使われる筋肉とエネルギー効率は異なる。つまり、人間はあらゆる動きをあらゆる速度域で行うことができるというわけだ。

人間は、ある一つの動きに特化しない代わりに、あらゆる動きを行うことが可能なように進化してきた。決して走るためだけに生まれてきたわけではない。人間は元来万能に設計され、学習し経験することでさらにエネルギー効率を高め熟練の域に達することが可能な種である。

人間は万能であることを基本として設計されている。つまり、なんにでもなれるということでもある。ある特定の能力を磨き続けることで特化し、突き抜けることができる。突き抜けた能力は他との差を生みバリューを創出する。そのバリューを一般の人に向け巧みに認知されるようしかけをつくれば、それがお金を生むことになる。

なんでもそこそこできる、またはなんでもだいたいのことは自分でできるというタイプの人間はバリューを創出することは難しいのかもしれない。ぼくのようななんでもそこそこ型の人間は20代まではなんでもできてスゴイということになるが、それ以降は何かに特化した人たちに次々抜かれてゆく。そして最後には全て中途半端な人間が残るだけだ。なんという。。。

そこで僕は考えた。スペシャリストにはなれない。ならばジェネラリストになれば良いのだ。自分でなんでもやらないで、自分より得意な人を探して集めて彼らに適切に託せばいいのだ。自分は、そこそこの広い知識と経験を使って、スペシャリストたちに適切にタスクを頼めばいいのだ。

ジェネラリストとして胸を張れるように生きてゆくには、どうしてゆけばいいのだろう。次はそれを考えてみよう。

どうやって暮らしてゆこう。。。

なかなか物騒なタイトルだけど、ほんとどうやって暮らしてゆこうか模索中の日々を過ごしている。

ぼくは一応会社員なんだけど、はっきり言って全く向いていない。会社の理解不能なルールを理解不能のまま遂行することができないのである。これはつまり一言で言えば「社会不適合者」なのだろう。要領が悪いアホな自分は、目的に対して合理的でないルールづくりの意味を見いだせないばかりか、それに従うことも非常に苦しい性分だ。また、問題や懸案事項の原因を深掘りしすぎるため、他の社員と思考フェーズが合わないのも苦労している。ぼくから見れば皆の意見は浅いところをウロウロしているようにしか聞こえないから、同じような質の問題ばかり発生している。いろんな事象を抽象化し共通の部分を見出すことができないのだ。それでは根本的に解決できないのだと思うのだが。。。

目的に対して非合理的なルールを遂行するのでさえ納得がいかないのに、思考フェーズの合わない他の社員の仕事をするというのは、まるで旅先を決定するだけでも時間がかかり、決まった旅先の行き方で議論し、決まったかに見えたところ、行き先がまた変更して、それらの経緯を報告書にして、いちいち変更届を出して、また最初からプランをやり直しみたいな堂々めぐりのようだ。これはもうコントである。しかも笑えないからたちが悪い。

納得のいかないルールは世の中にたくさんあるが、自分と関係ない世界に対してはあまり気にしない。関係のあるルールにしても、法律というルールに対しては非常に素直に従う。法律が合理的でかつ誰にでも平等とまでいかないが、成立には民主的な手続きが必要だし、まぁ変な法律があったとしても、この国に所属している限りそれを守るのが義務ってもんだと理解しているから。では、会社も理不尽だろうが、非合理的であったとしても、無駄なことだと分かっていても、決められたルールに対して割り切って従えばいいのだけど。。。

ぼくは会社は自分の目的を達成するためのフィールドだと考えている。会社は自分の目的のために存在しているのであって、会社のために仕事をしているわけではない。だから、自分の目的と会社の目的が一致していなかったら、そもそもその会社にいる必要はなくなる。会社側からしてもそうだろう。たとえ会社と自分の目的が一致していても、プロセスや結果が第三者から評価をもらえないのであれば、その会社内だけでしか通用しないものになってしまい、井の中の蛙状態になってしまい個人のキャリアには繋がらい。

そういうわけで、僕は常に外部に発表しても恥ずかしくない論理的思考による説明や報告書を書き、外部に対して十分認めてもらえるような特許や論文を書こうと努力している。そのためには、科学的手法に基づいた実験結果から分かる事実の積み重ねによる丁寧な考察が必要だ。そこには非常に合理的なロジカルが必要になってくる。仮説を立て実験や検証を行い事実を積み重ねる手法を丁寧に行いたいわけだ。

だけど、まぁこの会社では無理なんだろうな。逆にそんな理解ある会社はそうないだろう。やはり会社は理不尽な結果主義なのである。プロセスより結果。その結果も予定されているゴールに向かっているだけだし、予定調和のなにものでもない。新しい発見とは常に予想を超えたところにあるものだが。。。

しかも目的とプロセスがいいかげんだから問題が発生すればすぐにてんやわんやになってしまう。そして、その繰り返し。たとえ、ぼくが将来こうなるだろうと警鐘を鳴らしても、声の大きい人間にかき消される。そして、やっぱりそうなるよね、と呆れることになる。もうこんなサイクル飽き飽きした。

僕は子供の頃から不思議とカンが良くて、このまま進めればあとで起きるだろう問題を感知することができた。人のもめごともそうだし、旅行先で起きること、遊んでいて誰がケガをして大騒ぎになること、数時間後の天気など。おとなになってからは、株価や為替の変動、スポーツの試合結果、数日以内に車をぶつける人、事故をおこす日などがなんとなく分かった。こういうことは、誰にでもあることだと思うけど、ぼくはそのパワーが突出していた。ただ、もちろん人には言わなかった。そんなこと言うとたいてい嫌な顔をされるのを分かっていた。子供の時ウェクスラー式IQが高いことで騒がれたこともあったが、狭い知性の数値化なんてアホなオトナがいかにも好きなネタだと思っていた。出る杭はボコボコにされる。

未来に起こりそうな問題に対して、声を大にして警鐘を鳴らし、みなを説得することも可能かもしれないけど、そもそも僕は声が大きい人は嫌いだからそれは無理と言うものだ。それに当たり前だけど全ての直感が当たるわけではないし、細かいプロセスを説明することもできないから、ダメだったときの批判がすごくなってしまう。「お前、よくわからないこと言うなよ」的空気に変わってゆく。そういう環境にいれば、もう発言はやめておこうと思うようになる。あとで問題が発生した時、心の中で「やっぱりね。そりゃそうだよね」と思う人間へと変貌してゆくのだ。まったくもってクズ野郎だと自分で思う。

しかし、過去所属してきた会社や組織では、ぼくの発言はそれなりにみんなに受け入れてもらえた。声がとりわけ大きかったわけでもないし、性格的に威圧的な態度であるはずもない。ただ、自然な感じで自分の思いを伝えれば、周囲の人間が「なるほど、まぁそれもいいね」という感じで取り入れてくれたり、「今回はよそう」とかやんわり拒否されたりと、どちらにせよちゃんと意見を聞いてくれた。一言で言えば、どんな人間の意見も耳を傾けてくれる、平等で懐の大きい方々であったと思う。

人生の中でそんな人間的にリスペクトできる方々とばかり付き合ってきたので、それが普通の大人なのかと思っていた。しかし、実は今までお世話になってきた方々が特殊だったんだと、ようやく知った。今までずいぶん恵まれていたのだと思った。そんな人間的にリスペクトできる方々とは、今でも交流させてもらっており、ほんとうにありがたいことだと思う。

自分の未来に希望が持てない現状をうけ、これからどうしようと考えていた。一度きりの人生をこのままつまらいフィールドに身を置き続けることは、この世に生を受けることができた幸運をドブに捨てるようなものだ。

このままこの会社にいても自分の10年後の目的は達成できないし、人生の大きな目標からもだいぶ外れてしまっている。いろいろ考え続け友人やカウンセラーの先生とも相談した。正直、答えは簡単なことなんだけど。。。

簡単なことと、現状の問題(生活するための金銭)を天秤にかけ、とりあえず当面は給与分の仕事をしながら、信頼できる仲間と次のことを始めてゆこうと思う。

これからもワクワクした人生を家族とともにおくるためにも、人生は自分でコントロールすべきであるから。