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複雑系と身体運動、アトラクターと身体意識 ①

身体運動における運動意識をアトラクタ―の概念を用いるとけっこうおもしろいかもなぁ、というお話です。

身体運動は複雑系の一種です。

このことはエネルギーの出入りがあり非線形な運動形態であること、部分の機能が合わさって全体の性質が新たに創発されていることなどから明らかです。

複雑系とは無理やり一言でいえば「全体は部分の総和以上の系」と説明ができます。

創発とは「部分の性質の単純な総和にとどまらない特性が、全体として現れること」です。分かりやすい例で言えば、蜂が精工なハチの巣をつくったり、外敵から集団でたまごを守ろうとする組織的行動は、部分である蜂一匹一匹の機能を調べても分からないということです。

もっと簡単に言えば、人間を細かく調べていけばいくほど、本来の人間から遠ざかっていくということです。人間は細胞でできている、細胞は分子でできている、分子は原子でできている、原子は原子核と電子でできている。原子核中性子と陽子でできている。中性子・陽子はクォークでできている。クォークはエネルギーの振動でできている。。。 人間、遠い。。

そんな複雑系であるはずの身体運動は、大学レベルのバイオメカニクスの研究論文を読むとほとんどが古典力学系の微分方程式で記述されています。古典力学微分方程式はPCで簡単にシミュレーションが可能なため、人の動きを解析するには手軽なツールなのは確かです。一流選手のバイオメカニクスデータを二次元のスティックピクチャに変換し、各関節のモーメントや角速度を解析することで、一般選手との比較をするという手法は良く見受けられます。

例えば、一流選手と一般選手の股関節伸展速度と疾走速度の関係の文献があります。多くの研究者が発表しておりポピュラーな内容です。だいたいが股関節伸展速度と疾走速度は相関関係があるので、これらに関与する筋群を鍛えましょう的な内容です。

この文献を読んだ大抵の人はこう思うでしょう「なるほど、一流選手の股関節伸展角速度は一般選手より速いんだ。股関節伸展筋を鍛えたらいいんだ! 」です。

股関節伸展に関与する筋群はハムストリングス・大殿筋群・内転筋などです。中でもハムストリングスを鍛える選手が多かった1990年代はレッグカールが流行りました。レッグカールってそもそも膝関節屈運動だから、股関節伸展運動になってないじゃん!というつっこみはさておいて。

しかし、あまり速くなりませんでした。正確に言えば、加速区間では膝の屈曲トルクが高いほど加速が良いという文献もあり、一部の選手は加速区間の加速度向上は果たせたようです。

それで、次にハムストリングス以外の股関節筋群と疾走速度の関係を研究しました。調べた結果「疾走速度は、ハムストリングス断面積より内転筋群断面積に強い相関関係がある」ことが分かりました。

言うまでもなく、人々は内転筋群を鍛え始めました。そして、速くなった選手もいれば、何も変わらない選手もいました。そもそも、速くなった選手は本当に内転筋群を鍛えたから・使えるようになったから、速くなったと言い切るのは難しい話ですが。。。

つまり、バイオメカニクスなどによって動きの解析がなされ、どの筋群を発達させ使えるようになれば良いかが分かっても、速くなる選手もいれば、変わらない選手もいるということです。もっと身近な例を言えば、ウエイトして速くなる人もいれば、ウエイトをすると全然走れなく人もいるということです。

一流選手の動きを解析する技術は年々向上し、どのような動きをしているのか、詳細に分かってきています。しかし、これらの動きをただマネしてもダメですよ、ということが分かってきたのも事実です。そして、気が付くわけです。一流選手はそのような動きをしようと意識しているわけでなく、結果的にそのように動いていただけだと。

主観と客観の違いに気が付いたわけです。

股関節伸展速度が速い一流選手は、股関節伸展に関しては何も意識しておらず、むしろ腿を後ろから素早く前に持ってゆく「前への意識」の方が強いという主観的事実が明らかにされてきたわけです。すべての一流選手がその意識とは言えませんが、少なくとも脚の後方スイングを強く意識している選手は少ないという事実です。

また、これは有名な話ですが、カール・ルイスの指導者トム・テレツ氏は踏みつける意識が大切だとも言っていました。日本では、缶を踏み潰すイメージだと指導される方もいます。

人間はたくさんのことを同時に意識して身体を動かすことはできません。腕はこう、あたまはこう、おなかはこう、背中はこう、ひざは、足首は。。。 一流選手の動きがそうなっているからと言って、まったく同じ動きをするためにあちこち意識して走ることなんて不可能です。

そのために分習法があるじゃないか。動きを抽出してその動きを繰り返すスプリントドリルと呼ばれているものです。ここではスプリントドリルのことは細かく言及しませんが、冒頭で記述したとおり身体運動が複雑系である限り、文習法で習得したそれぞれの動きを合わせても全体以上にはならない、つまり各ドリルの動きから全体を創発しなければ、走りに生かすことは難しいわけです。ドリルは上手だけど、走り出したらそれらが生かされていない選手は時々見受けられますが、まさにこのことを体現していますね。概してまじめな子に多い気がします。

話を戻します。

客観的な事実と選手の主観は異なる、ということが分かってきたおかげで、やみくもにバイオメカニクスのデータを鵜呑みにできなくなりました。

つまり、一流選手の動きをマネすることより、一流選手のような動きを導くためにはどんな意識をもつことが大切なのかが大切だと分かってきました。そのうえで、結果的に股関節伸展速度が高まったり、内転筋群の筋断面積が増えたり、一流選手の動きや身体的特徴に近づいていくことが望ましいプロセスだと思います。

では、身体運動の解析と身体意識の解析を融合させることはできるのでしょうか?

意識と動きの相関的評価は可能なのでしょうか?

ぼくは、その可能性のひとつにアトラクタ―解析があると考えています。

 

 続きは第②回へ

道の終わりが気づかせてくれるもの

大学の頃から一緒に陸上競技に打ち込み、社会人になっても走り続けてきた仲間がいます。彼らは今もベスト記録を目標に、自分の身体と向き合っています。そんな彼らも30代の中後半になり、体の衰えを確実に感じているようです。

アスリートにとって身体の衰えは本当に恐怖です。今まで積み上げてきたこと、自分の人生という時間をかけてきたことが、足元から徐々に崩れてゆくわけです。そして、取り戻すことのできない時間に対して、後悔を抱く人が少なからずいます。もちろん達成感やここまでやってきたという満足感もあるので、人によって思いは様々です。

そんな中で、本気で人生の時間をかけてきたアスリートは少なからず後悔があるものです。後悔とは、もっと若い頃にあーしていればよかった、もっとしっかり勉強しておけばよかった、もっと時間を有効に使えばよかった、もっと栄養について・身体について・心について学んでおけばよかった、もっといろいろな人に教えてもらえばよかった、などなどです。

若いころは時間がたっぷりあるので、そのことに気づきません。それは他のことでも同様でしょう。気づいたとしても、それはもっと短期的な意味合いです。短期的な意味とは、例えば試合が終わったときに、調整不足だったり、睡眠不足だったり、もう少しトレーニングの質を上げておけば良かったというその場の反省レベルです。

アスリートとしての集大成をどこにもっていくか、つまりアスリートとして生きてきた証をどこで表現し、そして死んでゆくか。そこまで考える余地は若いころにはなかなかありません。たまに悟っちゃった人はいますが。そんなアスリートはどこか哀愁がありますね。

大半のアスリートは、アスリートとしての寿命が終わりに差し掛かるころ、やっと気づきます。長く歩み続けてきた道だからこそ、この道が永遠に続くわけがないことを知っているはずなのに、道の終わりが見えてくる時に気づくわけです。いや、気づいていも気づかないフリをするしかないのかもしれません。

アスリートという道に終わりが見え始めるころ、アスリートはようやく自分を知ります。アスリートでいた自分では見えなかったこと・感じられなかったこと・認知できなかったことが、俯瞰できるようになってきます。

そしてよりシンプルになってゆきます。走り方とかトレーニング手段とか、そういうことが気にならなくなります。今、できることにだけに集中します。トレーニングしてきた量や質、記録や栄冠は関係ありません。つまり過去から開放されることで、今この一瞬のために何ができるのかだけに集中してゆきます。それってすごく幸せな感覚です。少なくとも自分にとってはですが。。。

それって子供の頃を思い出します。子供の頃の遊びってとにかく夢中でした。一日がとても長かったし、明日のことを考えて今を生きたりはしていませんでした。いきあたりばったりで全力で遊んでいましたから。夜は疲れ果てて眠り、毎朝が楽しみででした。そのサイクルが永遠に続くものだとも感じていました。

今の社会では、計画・スケジュール・予定、そんなものを事前に組み立て、その予定に沿って実行できる人間がいわゆる「できる」人間と大半呼ばれています。その連鎖に寄って信用も生みますし、予定・結果を出し続ければ出世もしてゆきます。なので、大人になるというのは、そういう計画性をもって行動できる人を言うのかもしれません。とても僕にはできません。 

終わりを意識することは良いことです。背負ってきたものを捨て、いちばん大切なものを気づかせてくれます。それは人によって様々でしょう。そのとき気づいた一番大切なものを、これからの人生で守っていゆけるのなら、こんな幸せなことは無いのかもしれません。

アスリートとして終わりを意識することは、大切なものを気づかせてくれる、とても良いことだなぁと思いました。

抗生物質は一気に飲む!

2週間も体調が優れないので、病院で強い抗生物質をもらって一気飲みしたという、ただの日記です。

子供が風邪をひき、妻も風邪をひき、そして私も風邪をひきました。風邪にはいろいろなタイプがありますが、私は常に喉の痛みと高熱です。

今回も喉が痛く熱が出て頭がガンガンしますが、発症したのが旅の道中だったこともあり、ドラッグストアで強い風邪薬を購入し、ホテルで夕食を済ませ、薬を飲んでさっさとベッドに入りました。

これは風邪じゃない、これは風邪じゃない、寝れば治る、寝れば治る、と自分に呪いをかけながら。。。

翌朝、喉の痛みはありましたが、熱は下がったようです。なんとか残りの旅を楽しむことができ帰宅しました。しかし、それはやはり完治していたわけでは無かったのです。

数日後、熱がぐーんと上がりました。意識が朦朧として、何か判断することができません。食欲もなく、だるくて悪寒がして、関節が痛くて呼吸が苦しいです。

我慢できず病院へ行きました。かかりつけである病院の女医先生は「う〜ん、かわいそう〜」が口癖の、とても優しい先生です。もちろん嫌味などなく、素敵な人柄が伺えます。

かかりつけの先生であるため、私の過去の症状を熟知されています。ただの風邪ではなく細菌性の感染症と判断し、今回は強めの抗生剤を処方してもらいました。

マクロライド系のジスロマックSR成人用2gドライシロップ(ファイザー)という抗生剤です。

この抗生剤は、薬が入っているボトルに水(60cc)を入れ、軽くかき混ぜた後、一気に飲むというしろものです。一回飲めば、3日〜7日くらい効果が持続するらしいです。

というわけで、こいつを飲んでしばらく冬眠することにしました。

いつになったら春がやってくるのか。。。

とはいえ慌てずにぼちぼちやるしかないのです。

春の南伊豆トレーニング

南伊豆の楽しみ方のお話です。

まず、7時に家を出ます。車で2時間、南伊豆弓ヶ浜に到着します。

浜ウォーク、浜ジョグ、浜ダッシュ、補強などみっちり3時間ほどトレーニングすれば、からだがとても浜に馴染んできます。浜になじむというには、浜に逆らわない動きということです。

浜トレは何も考えずに身体と自然との融合が目的です。ただ自然に身を任せ、自然から教えてもらうだけです。そうすれば勝手にからだは動かされます。ただ、そういう状態をあからさまに目指すとまた話が違います。自然は意識した時点で自然ではありませんから。禅問答みたいです。

つまりは夢中になって遊んでいるうちに、あっという間に時間が経ってしまった状態のことを言うのだと思います。考えれば誰でもごく普通に体験していることです。

夢中になって心とからだが満足したところで、浜に隣接する南伊豆休暇村の温泉で汗を流します。12時30分から一般客の利用(800円)ができます。少し熱めの露天風呂と海からのまだ冷たい潮風がとても気持ち良いです。

温泉後の13時30分、青木サザエ店でいつものの「まかない丼」を注文します。ややぶっきらぼうな店員さんたちですが、いちいち気にしてはいけません。ここでは店員も客も誰もが平等です。5分程待てば、ボリュームたっぷりのアツアツまかない丼がやってきます。いい匂いです。一気にかきこみます。味わうより、勢いで食べる方がどんぶりのおいしさを何倍にもしてくれます。

14時過ぎ、弓ヶ浜にさよならをします。帰路につくとすぐに菜の花畑に遭遇します。ちょっと見ていくことにしました。菜の花の香りは春の香りの一つです。香りは記憶です。いつかの思い出が蘇ります。

川沿いの桜はもう少しのようでした。

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絶不調なり2月

絶不調です。

一年で一番体調が悪い時期ですが、2月はまるまる1ヵ月間、調子を崩していました。

ただ、あまり気にしていません。

人間そういうときがあるものです。

じわじわ治して、再び楽しいことやろうと思います。

こういうとき、家族の大切さ・ありがたさが身に沁みます。

ありがとう