FLOW

陸上競技・ロードバイク・トレイルランニング・エストレヤ・旅・FLOW・物理学者(量子力学・量子生命科学)

激レアさんで刺激を受けたこと

40歳で会社員を辞め、突然年俸120円でJリーガーになった方を知り、刺激を受けたという話。

世の中に変わった人という部類の方々はたくさんいる。そして、その変わった人というカテゴリもほぼ「変わりたくない人」というマジョリティに属する人たちからの呼び名であり、変わった人たち当人からすれば、別に自分にっとては普通ですけどと冷ややかなのかもしれない。

自分がそうだからだ。

そしてそれは生きにくさとの戦いであり、折り合いであり、妥協であり、別離であり、自由への道筋だった、と言えばおおげさかもしれないが。

今の僕は自由と言ってもさしつかえない。もちろんルールや法律の中でのという意味で。

子供の頃はとても居心地が悪かった世界。おとなになっても解消されず、膨大な心理学・社会学・行動学などの知識でもってソーシャル対応していた。好きでもない他人や理不尽な社会へのすり合わせのためにIQリソースを割いていた。そのためクリエイティブで創造性のある楽しいことへのリソースの割当が激減し、ストレスフルな毎日を過ごさざる負えなかった。

でも、それは自分の人生を歩んでいないことに気づいた30代。全てを捨てて単身海外へ。そこは実力だけの世界。お互い力を認めれば人間関係は信頼となった。厳しい世界かもしれないが、ここちよくもあり、ダメならダメでも社会がそれを包容するシステムをもっていた。挑戦することに寛容だった。

挑戦すること。

激レアさんはそれを日本でやっていた。

ああ、そういうことか。かんたんなことじゃないか。

やめたほうがいいと助言をくれる友人とは距離をおいた。おもしろいじゃん、やってみたら!という一見無責任に聞こえるかもしれない友人たちを大切にした。なぜなら、他人なのだから無責任でいいからだ。それを恩着せがましく「お前を本当に心配しているからこそ」と言う人のほうが信用できないと思った。だって本当に責任とれないでしょ、と。

いつのまにか友人と呼べるひとたちがほぼ自営業や経営者たちだけになっていった。みんな挑戦し続ける人たちだった。それが心地よいと感じる人達だった。

激レアさんをみて、背中を押されている感覚となった。

少し諦めようとしていた挑戦だったけど、もういっかいがんばってみようと思った。

しゃべる動画

youtubeをぼちぼち見るようになって、お気に入りがだんだん増えてきた。

自分にどのような傾向があるのだろうかと思ったけど、たんたんと情報をしゃべってくれる旅系タイプがお気に入りのようだ。音楽が入ったり、過度のテロップ、出演者のオーバーリアクションは好みではないことが分かった。まぁ、最初からそれは分かっていたことだけど。

好きな旅のスタイルで、知っている情報を視聴者にアナウンサー口調で伝える。過度の演出は無い。新しい発見があれば丁寧に詳細を伝える。見方を変えて説明する。不快にならないような感想を少し入れる。

自分が好きなことと一緒だ。

やってみようかな、うんやってみよう。

米国高配当ETFはじめた

つみたてNISAを夫婦でやっている。

妻はバンガードS&P500、僕はemaxis slim 先進国とひふみプラス。

なんのひねりもない内容だけど。

これらは分配金を再投資にまわしてくれるので20年預けて複利効果を狙うという特徴のない運用。

で、配当金が少しもらえると嬉しいなぁ、とう理由で、米国ETFのうちVYMとVOOを始めた。

住信SBI銀行の積立外貨預金を使って米ドルを毎日3000円積立する。営業日のみなのでだいたい月20日。つまり合計6万円/月。これをSBI証券の外貨に振替しVYMを中心に購入。

何かしらまとまったお金が入ったときはVOOへ。

配当金生活は難しいけど、月5万の余裕を目指してコツコツやっていこうと思う。

ここちよいもの

ランを再開させたことによって、ふとあることを思うことが増えた。

ぼくはいつまでこうした生活を続けられるのだろう、この住み慣れた町を出てもっと田舎(ここも十分田舎だけど)に移住して、本当は自給自足的な生活をしたいんじゃないか、と。

ひょっとしたら誰でも一度はそんなことを考えるのかもしれないけれど、大抵の場合は現実的じゃない・きっとすぐに飽きるよという意見が多い案件なのかもしれない。

でも、ぼくはそういう暮らしがあっていると思う。それは性格的なものなので、理由は明確ではないし誰かに説明するものでもない。だからこそ、自分の中で確信めいたものが存在して、ぼくを田舎の自給自足暮らしへといざなっている。

ランをしていると心が軽くなる。やらなくちゃいけないさまざまなタスクを頭の中から追い出すことができる。追い出すことができないときは、ただの義務感で走っている感覚だ。うまく追い出すことができたとき、将来の楽しい(ぼくが勝手に思うだけだけど)生活を夢見てしまう。

走りに行くことが楽しみになっている。

ようやく走り始めた2021年

まじめに競技をしているわけではないけど、かといって不真面目に競技をしているわけでもない僕にとって2020年は、なんとなく時間だけが過ぎてゆく1年だった。

トレイルランニングは一度もやらなかったし、陸上競技の大会にも参加しなかった。日課としていたトレーニングやランニングも周に1回程度となり、運動習慣はほぼ消えてしまっていた。

その結果、やはりというべきか、身体に不調があらわれた。具体的にいろいろあるけれども、つまり全てがもやもやしているのだ。もやもやしたカラダはもやもやした心になってしまう。

もやもやが募り限界を迎えてようやく走り始めた。それが2021年1月のこと。

最初の1週間はただきつかった。距離は5km程度、ペースは7分/kmほどなのに、一歩一歩が重い。足を前に出す意識がないと止まってしまう。そんなことはじめてだった。走るという行為は、身体が勝手にやってくれるもので、意識なんてしなくとも勝手にできるものだった。

それが、一歩一歩を意識しなくては、止まってしまうほどになるとは。

新しい発見として受け止めることにして、まぁそれも悪くないかという気持ちで、とにかく続けることに意識を集中させた。嫌になったらやめれば良いと考てもみたけど、たぶんそれをすると本当に走ることをやめてしまう。世の中、がんばらなくていいという風潮だし、自分もがんばることは嫌いだけど、正しい努力はするべきで未来への投資という考えは持っている。

なので、ここは自分への投資として、ちょっと努力してみることにした。

そうして3週間ほど自分にとっての努力を続けていくうちに、身体はそれに答えるように変化していった。気がつけば7km走れるようになり、一歩一歩の意識が消えた。自然と走れるようになり、景色を楽しむ余裕が生まれた。こんなところにこんな道があったのか、ここのお店おいしそう、こころ公園おもしろい遊具があるな、など走っている途中の発見が楽しくなってきた。

あぁ、やっぱり少し努力してよかったな、走るってやっぱり楽しいことだったんだ。1年間のぼやぼや期間があったからこそ、走る楽しさを再発見できてほんと良かったと思った。

今日も走ろう。