激レアさんで刺激を受けたこと
40歳で会社員を辞め、突然年俸120円でJリーガーになった方を知り、刺激を受けたという話。
世の中に変わった人という部類の方々はたくさんいる。そして、その変わった人というカテゴリもほぼ「変わりたくない人」というマジョリティに属する人たちからの呼び名であり、変わった人たち当人からすれば、別に自分にっとては普通ですけどと冷ややかなのかもしれない。
自分がそうだからだ。
そしてそれは生きにくさとの戦いであり、折り合いであり、妥協であり、別離であり、自由への道筋だった、と言えばおおげさかもしれないが。
今の僕は自由と言ってもさしつかえない。もちろんルールや法律の中でのという意味で。
子供の頃はとても居心地が悪かった世界。おとなになっても解消されず、膨大な心理学・社会学・行動学などの知識でもってソーシャル対応していた。好きでもない他人や理不尽な社会へのすり合わせのためにIQリソースを割いていた。そのためクリエイティブで創造性のある楽しいことへのリソースの割当が激減し、ストレスフルな毎日を過ごさざる負えなかった。
でも、それは自分の人生を歩んでいないことに気づいた30代。全てを捨てて単身海外へ。そこは実力だけの世界。お互い力を認めれば人間関係は信頼となった。厳しい世界かもしれないが、ここちよくもあり、ダメならダメでも社会がそれを包容するシステムをもっていた。挑戦することに寛容だった。
挑戦すること。
激レアさんはそれを日本でやっていた。
ああ、そういうことか。かんたんなことじゃないか。
やめたほうがいいと助言をくれる友人とは距離をおいた。おもしろいじゃん、やってみたら!という一見無責任に聞こえるかもしれない友人たちを大切にした。なぜなら、他人なのだから無責任でいいからだ。それを恩着せがましく「お前を本当に心配しているからこそ」と言う人のほうが信用できないと思った。だって本当に責任とれないでしょ、と。
いつのまにか友人と呼べるひとたちがほぼ自営業や経営者たちだけになっていった。みんな挑戦し続ける人たちだった。それが心地よいと感じる人達だった。
激レアさんをみて、背中を押されている感覚となった。
少し諦めようとしていた挑戦だったけど、もういっかいがんばってみようと思った。