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道の終わりが気づかせてくれるもの

大学の頃から一緒に陸上競技に打ち込み、社会人になっても走り続けてきた仲間がいます。彼らは今もベスト記録を目標に、自分の身体と向き合っています。そんな彼らも30代の中後半になり、体の衰えを確実に感じているようです。

アスリートにとって身体の衰えは本当に恐怖です。今まで積み上げてきたこと、自分の人生という時間をかけてきたことが、足元から徐々に崩れてゆくわけです。そして、取り戻すことのできない時間に対して、後悔を抱く人が少なからずいます。もちろん達成感やここまでやってきたという満足感もあるので、人によって思いは様々です。

そんな中で、本気で人生の時間をかけてきたアスリートは少なからず後悔があるものです。後悔とは、もっと若い頃にあーしていればよかった、もっとしっかり勉強しておけばよかった、もっと時間を有効に使えばよかった、もっと栄養について・身体について・心について学んでおけばよかった、もっといろいろな人に教えてもらえばよかった、などなどです。

若いころは時間がたっぷりあるので、そのことに気づきません。それは他のことでも同様でしょう。気づいたとしても、それはもっと短期的な意味合いです。短期的な意味とは、例えば試合が終わったときに、調整不足だったり、睡眠不足だったり、もう少しトレーニングの質を上げておけば良かったというその場の反省レベルです。

アスリートとしての集大成をどこにもっていくか、つまりアスリートとして生きてきた証をどこで表現し、そして死んでゆくか。そこまで考える余地は若いころにはなかなかありません。たまに悟っちゃった人はいますが。そんなアスリートはどこか哀愁がありますね。

大半のアスリートは、アスリートとしての寿命が終わりに差し掛かるころ、やっと気づきます。長く歩み続けてきた道だからこそ、この道が永遠に続くわけがないことを知っているはずなのに、道の終わりが見えてくる時に気づくわけです。いや、気づいていも気づかないフリをするしかないのかもしれません。

アスリートという道に終わりが見え始めるころ、アスリートはようやく自分を知ります。アスリートでいた自分では見えなかったこと・感じられなかったこと・認知できなかったことが、俯瞰できるようになってきます。

そしてよりシンプルになってゆきます。走り方とかトレーニング手段とか、そういうことが気にならなくなります。今、できることにだけに集中します。トレーニングしてきた量や質、記録や栄冠は関係ありません。つまり過去から開放されることで、今この一瞬のために何ができるのかだけに集中してゆきます。それってすごく幸せな感覚です。少なくとも自分にとってはですが。。。

それって子供の頃を思い出します。子供の頃の遊びってとにかく夢中でした。一日がとても長かったし、明日のことを考えて今を生きたりはしていませんでした。いきあたりばったりで全力で遊んでいましたから。夜は疲れ果てて眠り、毎朝が楽しみででした。そのサイクルが永遠に続くものだとも感じていました。

今の社会では、計画・スケジュール・予定、そんなものを事前に組み立て、その予定に沿って実行できる人間がいわゆる「できる」人間と大半呼ばれています。その連鎖に寄って信用も生みますし、予定・結果を出し続ければ出世もしてゆきます。なので、大人になるというのは、そういう計画性をもって行動できる人を言うのかもしれません。とても僕にはできません。 

終わりを意識することは良いことです。背負ってきたものを捨て、いちばん大切なものを気づかせてくれます。それは人によって様々でしょう。そのとき気づいた一番大切なものを、これからの人生で守っていゆけるのなら、こんな幸せなことは無いのかもしれません。

アスリートとして終わりを意識することは、大切なものを気づかせてくれる、とても良いことだなぁと思いました。