「ちょうどよい」と「ここちよい」
ちょうどよいはやっぱりちょうどよい
この「ちょうどよい」というのが案外難しい。いや、難しいと思うから難しいのか。
トレーニングをして何か特別な能力を得るというプラスの感覚とは違い、今あるもの・元々備わっていたものを、うまく調和させた結果、能力が表現されるというのかな。
能力が発揮される状態と、「ちょうどよい」感覚の関係。
速く走るためにはパワーアップが必要だ、効率のよいフォームが必要だ、ランニングスキルが必要だ、重心移動をスムースにすればいい、インナーマッスルを鍛えればよい、などなど。
巷ではいろいろな情報が流れている。
どれも断片的で、紋切り型で、流行りのようなもので、アカデミックでない情報も多い。
もちろん正確な情報もある。
それらを取捨選択して判断する能力については、ここでは言及しない。
なぜなら、それはあくまでも手段であるから。
目的はなんなのか。
自分はどうしたいのか。
何をしたいと感じているのか。
自分を認知すること。
そして、自分の何を信じれば良いのか。
それこそ「ちょうどよい」という自分の感性が一つの道しるべとなるのではないか。
「ちょうどよい」は身体のメカニカル的な行動としての指標であり、精神的指標は「ここちよい」かな。
ここちよければちょうどよい、ちょうどよければ協調できる、協調できれば機能的かも。
そんなに簡単な三段論法にはならないけど。。。
身体が機能的で心地よいと感じるときは、とても速く走れるのは体験している現実。
では、機能的であるための手段はなんなのか。
ぼくは「ちょうどよい」運動を、「ここちよい」気持ちで行うことに、ひとつの答えを見出そうとしている。
そうやって20年以上走り続けてきた。
ようやく、その答えを検証できそうな気がしている。
ある先生との出会いによって。
ワクワクはこれからも続く。