高校生と走る100mは自分が高校生に戻った気分だった
夏の松本で陸上競技の記録会に出場した。
いつもはマスターズの大会ばかりだが、今回は久しぶりに一般の試合にエントリーした。種目は100m、1000m、走幅跳、やり投の4種目。タフかもしれないが練習のつもりで参加することにしていた。
記録は、走幅跳、やり投、1000mはほぼ同時間の開催だったためか、集中し切れずにどれも中途半端だった。できるだけのことはしたけれど。。。
走幅跳を1本目跳んだあとに、1000mを走った。ゴール後、息が上がった状態ですぐにやりの練習を1本。そのあと走幅跳の2本目を跳び、完全にバネが無くなっていたので3本目を棄権した。その後、すぐにやりのピットへ移動して、残す2本を投げて、バタバタの3種目が終わった。
次の100mは2時間後。
一度昼寝をした。
競技場のコンクリートの上で横になった。
夏の暑い風と競技の歓声がここちよい。
きもちよい疲労感の中、ここちよく眠りに落ちた。
起きるとなんだか不思議な気分だった。
30年前の高校生の自分がいた。と言ったらおおげさだけど、陸上競技にかけていたあの頃の気持ちがそこにはあった。
おっさんなのにおっさんじゃなくなっていた。
それからゆっくりアップをした。
100m前がこんなにワクワクしたのは何十年ぶりだろうか。
遅いのは分かっていたけど、今の全力を出せばいい、とにかく走りたいという気持ちでいっぱいだった。こんな気持ちマスターズでは味わっていない。
100mのスタートラインについたとき、横に並ぶ選手たちはほぼ高校生だった。
「set」のコールでブロックに足をかけ、手をついて準備した。
号砲が鳴りスタートする。
左右の高校生は半身前に出ていた。スタートが苦手なぼくのいつものパターンだ。だけど、ここから追い上げるのもいつものパターンだ。のはずだった。
高校生たちは加速を強めた。
ぼくは、それについていった。いつもなら諦めていたのに。
マスターズの年齢になってからは、相手と競り合うという気持ちがすっかりなくなっていた。怪我なく走れればそれでいいやって気持ちで走っていた。
でも、今日は違った。
高校生に一生懸命くらいつく自分がいた。
中間疾走になって少しだけ差が縮まったけど、ラスト20mでふたたび差がついた。
ラスト20mは僕の得意な区間だった。それがあっさりと。
ゴールして全身が疲労しているのがわかった。息が荒いこともわかった。肩甲骨の間がつりそうだった。それは現役の選手時代と同じところだ。
とても楽しかった。
とてもエキサイティングだった。
集中した11秒だった。長かったような、短かったような時間
少しだけゾーンに入れた気がする。
それだけ楽しめたということだろう。
これだなぁ、これがほしかったんだなぁ。
次も一生懸命走ろうと思った。