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運動形態による脚のカタチ ペダリングとランニング

 長距離走短距離走では身体の見かけが異なるのは誰でもわかる。長距離選手は線が細く骨ばっているし、短距離選手は筋肉量が多い。また、お相撲さんは相撲に特化した身体だし、ラグビーラグビーに特化した身体、バスケは高身長が当然有利だし、水泳は手が長く上半身が大きくなる。特異性と呼ばれるものだ。

 その結果、あるスポーツに特化してゆくと、他のスポーツにとって弊害が出てくる。水泳選手が地面を歩くとすぐに疲れるという話はよく聞くし、サッカー選手だからといって全ての選手が足が早いとは言えない。もちろんアマチュアレベルであれば、スポーツ万能とよばれる人もいるが、プロレベルの話になるとなかなかそうもいかなくなってゆく。二足のわらじで成功するプロスポーツ選手はほんのわずかだ。

 そんな矛盾する競技特性の中でも興味深いスポーツが存在する。陸上競技の混成競技という種目だ。混成種目は走・投・跳という能力をバランスよく向上させてゆく総合力が問われる競技のことで、ヨーロッパなど総合力に対し評価が高い国ではとても盛んであり人気なスポーツだ。

 しかし、この混成種目というのは先に記したように、大変矛盾に満ちたスポーツでもある。例えば投擲種目を伸ばすために上半身を鍛え過ぎてしまえば、体重がかさみ走高跳で不利になる。また徹底的に下半身・バネを鍛えることで、跳躍種目は伸びるかもしれないが、投擲種目は難しくなる。とにかくトレーニングのバランスが難しい。そういったマネジメント・戦略こそがこの競技の醍醐味でもあるが。

 さて、ここから本題。短距離や跳躍練習をして、バネの効いたシャープな走りになってくると、ふくらはぎが細くなり足首が締まってくる。膝周りの筋肉は落ちて、太ももの付け根周りがグッと太くなる。特に後ろと内側。いわゆる内転筋・ハムストリングス群とよばれるあたり。結果的に足の末端にかけて細くなってゆくムチのような脚に変化する。

 また、肩周りも細くなり、二の腕がシャープになる。腕振りがしやすく肩甲骨と骨盤の連動が意識しやすくなる。腹筋の深い所、いわゆる大腰筋群のしなやかさも増してくる。もちろん体幹の筋群は発達し細分化され、しなやかさを増す。

 一方、自転車競技をやっていくと太ももは樽型になってくる。太ももの付け根が太くなったり、足首ふくらはぎがシャープになってくるのは走りと同様だが、膝周りの筋肉はある程度ついてくる。内側広筋もポコッとしてくる。また、前傾が深いためおしりの筋肉もムチムチしてくる。ベダリングの引き動作が強い選手なら、膝屈曲のためハムストリングスの下方も肥大してくる。

 走る行為とペダルをこぐ行為は、同じ脚を使う競技だけど、身体の発達・デザインは異なる。二つの運動を極端に言えば、走りとは身体の重心移動速度を向上・維持することであり、自転車と脚の円運動をチェーンやトラス構造物を介しタイヤに伝達することである。いわゆる機材スポーツだ。

 ここで言う運動形態とは「力」を外部に伝えることで、自身が加速・等速・減速する現象であり、つまり「仕事」をすることである。走りであるなら地面に足がついている時にしか力を伝えることができない。つまり空中では、いくらがんばったところで身体を加速することは不可能。つまり、地面との接地の間だけ仕事が可能であるというみと。一方、ペダリングならペダルにチカラを入れたければいつでも「仕事」は可能だ。つまり、いつでも仕事が可能であるということ。また、走りは主にエキセントリック運動、ペダリングは等速運動(一定ペースのとき)という分け方をする方もいる。

 もう少し具体的に言えば、走りは空中に足がある間はどんなにチカラを入れたところで前には進まない。地面に足が着いたときに、より大きなチカラを短時間で地面に伝えること、そのときの身体のベクトルを推進方向へ合わせることで効率の良い、高速な走りができる。より大きな力を短時間で地面に伝えるという意味で、仕事率が高ければ足が速いということである。ここで重要なことは空中に身体が放り出されている間は、なるべく身体をリラックスさせること。このリラックスとチカラの発揮をタイミングよく高速にサイクルさせることが、走りのスキルとして重要であるとよく言われている。空中でどんなに力を入れても、仕事にならないわけだ。まぁ、自分を含め実際はなかなかリラックスすることができない選手が多いのだけど。

 一方、自転車はというと、いつでもペダルにチカラを入れれば「仕事」となる。ペダルの円運動に対して接線方向へ絶えずチカラをかけ続ければ、理論上最高効率となる。しかし、いろんな研究論文では、ペダルに対しては2時から5時あたりまでの角度で接線方向へチカラをかけることが重要である、と述べている。逆足についてはベダルの回転に対して逆負荷にならない程度に引けばいいということも述べている。いわゆる引き足はベダルの回転を詐害しない程度で良いということだ。つまり、ペダリングは踏み込むことに集中し、左右の脚の切り返しの意識を持つほうがいいとある。中野浩一氏は「自転車の上を走るような感覚」というが、その感覚とペダリング出力は一致している。余談として、この感覚と客観的事実を一緒にしないことが、成長するにあたり重要なポイントでもある。

 さらに言えば、人間の筋肉というのは、ずっとチカラを込め続けては血流が阻害され酸素・栄養が行き渡らない。また疲労物質(水素イオンなど)も流れてゆかないという弊害がある。つまり筋肉がパンパンな状態になってしまい、酸化がすすみ収縮が不可能となってしまう。それでもがんばろうとすると主動筋と拮抗筋が共に収縮しようとしたり、タイミングよくこれらの筋肉が切り替えられなくなってゆく共縮運動を引き起こしてしまう。共縮運動はぎこちない動きを作り出し、疲労を招く動きの代表として有名である。このあたりの話は初動負荷理論が詳しい。

 ペダリング機械的効率を追求してしまうと、本来の身体運動を詐害する動きをせざるおえない状態が現れてしまう。雑誌にしろ個人にしろ、よく効率のよいペダリングというコトバを使うが、それが何に対して効率がいいのかが抜けている。エネルギー効率を純粋に求めても、人間の構造がそれに適していない場合無意味だ。機械的効率にしか目が向いていないことをよく目にする。パ○オニアのパワーメーターの営業さんに、このあたりの話を伺っても的が外れた回答が返ってくる。

 また、ペダリングにはペダルに対して出力する帯域が個人によって大きく異なる。また、その出力時間も様々だ。クランクが2時の時だけ瞬間的にチカラを入れ、あとは惰性というペダリングもある。0時から膝を伸ばす感覚、2時から踏み込む感覚、5時あたりで膝を屈曲させる感覚、大雑把であるがこんな感じでペダリングされている方もいる。

 脚の長さ、膝下・大腿比、各筋肉の発達度合い、最大ピークトルク角、さまざまな要因によって、個人のペダリングは異なっているといることは、本来言うまでもないことであり、誰でも知っていることだ。ただ、知ってはいるが理解している人は少ないから、ペダリングの極意的なタイトルをつけた本がよく売れているのではないだろうか。本当は自分自身の身体が一番良くわかっているはずなのだが。。。

 走りもペダリングもそもそも人間のもっているチカラをどう活かすかがポイント。機械から見て効率の良い動きが必ずしも人間の構造上効率のよい動きとは言えないということを認識しなければ、個性をいかすことはできない。逆に言えば、自分の身体感覚をナチュラルにしてこそ、はじめて理解できることでもある。

  どうやったら速く走れますか?

  どうやったらペダリングの効率が良くなりますか?

 ひとつの答えは、速い人を見るのではなく、遅い人を見ること。そこで遅い理由を自分なりに考えてみる。その動きを自分に取り入れて見る。そうか、こんな動きだと遅くなるのか、とわかる。その積み重ねで、良いと悪いの境界線がはっきりしてくる。何が良くて・何が悪いのかの境界線を自分の中で見つけることが、競技者や指導者にとって最も重要な因子の一つ。

ただ、この方法の一番の難点は「運動センスがない人は、その境界線を見極める時間がかかりすぎてしまう」ことである。そういう意味では、やはり速い人に「どんなトレーニングをどのような感覚で行なっているのか」を聞いて、自分の中の「感覚」と照らし合わせてみるのがよい。

これらは大器晩成型と早熟型の違いであり、どちらを選ぶかは個人の自由ということで。