テスト範囲だけを記憶する思考停止人間からも学ぶことはあるさ
医療系専門学校生にとって最大の目標はもちろん「国試」に受かること。
そのために、授業では教科書全部をやることは非効率だ。なので先生方は要点をまとめたプリントを作って授業をする。また、毎週小テストをして定着をはかってくれる。
学生は先生に言われたところに赤線を引く。赤線を引いた単語を覚える。その単語が意味していることは、気にすることもない。
あるとき先生の説明に矛盾があった。だれも質問しない。学生にとっては、とにかく意味より単語を覚えればいいのだから、説明に矛盾があっても気にしない。いや、矛盾にも気づかないのかもしれない。
「先生、質問いいですか?」
ぼくは矛盾に耐えきれず、手を上げて質問をした。先生はしっかり聞いてくれた。確かにおかしいね、あれ?と、真剣に考えてくださった。
しかし矛盾をひもとくことはできなかった。代わりに来週までに調べ直してくれるという話になった。お手数かけて申し訳ない気持ちになったが、先生は嬉しそうだった。
授業終了後、先生ともう少し話をした。
質問についての内容だ。古典の話だから解釈の問題がある。いろいろ議論するには良い素材だと思う。楽しい時間が過ぎた。
しかし他の学生はそうでもないらしかった。
僕と先生のやりとりをそばで聞いていた学生から発した言葉は衝撃だった。
「そんな屁理屈、意味がわからない」
「決まっていることなんだから、議論なんてする必要がない」
思考停止人間ってここにもいるんだ。。。
うんざりだなぁ。。。
僕は思考停止人間が一番苦手だ。
嫌いではないが、話が噛み合わないので、基本的に上辺だけのへらへらした話だけに留めている。ただ、へらへらした話も好きなので、思考停止人間とは一線をひいて付き合っているだけのことだ。
しかし。。。
正直、この人たちと3年間、共に学べるのだろうか?
決まっていることだからという理由だけで、自分の頭で考えず、疑問を持たない人間たち。治療家として生きてゆくために、ささいなことでも疑問を持つことは、最も必要な素養なのではないのか。
腰が痛いときは、ここに鍼を打てばいい。肩が痛いときはココ。頭痛の時はここ。。。それらレシピをたくさん記憶さえすれば良い、と考えている輩たちだったとしたら、果たして東洋医学と言えるのだろうか。
東洋医学は様々な要因、生活習慣、性格、個性、運動履歴、病歴、家族構成、趣味、思考、好きな食べ物、嫌いな食べ物、身長体重、筋肉量、表情、肌の状態、呼吸、気持ちなど数値には表わせられない要素を総合的かつ有機的に判断することを特徴としている。
AならB、CならDみたいな、そんな一対一の関係で治療できるわけがないと思うのだが。。。
まぁ、ひとそれぞれであるわけでもあるので、自分の考えが正しいとも思わない。学びを続けるうちに考えが変わるかもしれない。そういう意味でも、これから自分がどんなことを感じ、思い、考え、学んでゆくのか楽しみだ。
いろんな人がいることもまた事実であり、それらを認めることこそ東洋思想なのだから。