FLOW

陸上競技・ロードバイク・トレイルランニング・エストレヤ・旅・FLOW・物理学者(量子力学・量子生命科学)

イノベーターランナーじゃないよ、ただの走る人だよ

ここまでランニング・トレイルランなどがマジョリティ層に浸透したのは、やはりアーリーアダプターによるファッション感覚の拡散が大きな要因だと感じる。走ることがしんどい・きついという暗いイメージから、明るく楽しいものに変えてくれた。ファッション化することで女性層が増えた。女性が増えれば当然男性も増える。楽しむ人が増えることで、トラブルが増えるのも仕方がない。ルールとマナーは昔からの習慣や決め付けではなく、みんなでつくってゆくものだ。少人数で確立されたルール・マナーが、大人数ではいくらか時間と工夫がいる。それらを乗り越え文化となっていく。ランニングがどのような文化に育っていくのかは、分からないが、多少はかかわっていくのかなとも思う。どちらにせよ、飽きるまで走り続けることは確かだ。

ランは10歳頃から自発的に始めた。当時少年サッカーに燃えていた僕は、俊足フォワードとしてサイドからセンタリングを上げたり、スペースに走りこんでシュートするという仕事をしていた。自分をもっと高めてチームに貢献したいという思いから、自主トレをはじめた。本屋でトレーニングの本を買うようになった。サッカーのスキル関係はもちろん、筋トレ、ストレッチなどフィジカル系の本を読んだ。次第に、運動生理学や栄養学の本にも手を出すようになった。当時の小学生がコロコロコミックなどのマンガ本を読んでいた頃、読めない漢字の運動生理学の本にひたすらアンダーラインをつけていた。クリスマスプレゼントに買ってもらった、筋肉と骨格のカラー標本は未だに実家の壁に張ってある。

そんなとことん追求する性格だったので、トレーニングに関しても誰かが実践している方法論には興味がなく、人間の骨格・筋肉の性質はこういう風になっているのだからサッカーの動きに活かすためには、こういう動きのトレーニングをしたらいいんじゃないかと、自分で考えてメニューをつくっていた。

例えばサッカーは5秒以内のダッシュを繰り返すスポーツで、さらに言えば最初に2歩でどれだけスピードを出して相手選手を振りきれるかが大切ということに気づき、ではだらだら走る長距離より5秒ダッシュをたくさん繰り返す方がいいんじゃないかと閃いた。今で言うインターバル練だ。5秒ダッシュしてジョグで戻り、すぐに今度は右へダッシュ、もどって後ろへダッシュ。。。こんなことを、夕方のグランドで試行錯誤しながらトレーニングしていた。そしてそれがとてもおもしろいと感じていた。小学5年生のときだ。

成果はバッチリで試合では簡単に敵を振り切れた。とにかく1歩目から差が圧倒的だった。ただ、自分が足が速いことはサッカーに生かせる武器としてう認識でしか無かった。

目標を立て、方法を考え、それに取り組み、うまくいかないときはどこが悪いのか何が悪いのかフィードバックしながら、目標を達成するという仕組みがとても自分にフィットしていた。何が悪いのかは自分で分析したことを、指導者に聞いたり、友達に見てもらったり、本を読んだり第三者の意見とのすりあわせも行っていた。

こんな楽しい遊びは無かった。

しかし、中学生で一旦サッカーをやめた。膝の負担を考えてのものだった。3年間、膝を休めよう。今度は手を使うスポーツをやってみよう。そして選んだのはソフトテニスだった。そして、サッカーと同様にテニスのためのトレーニングを考え、試行錯誤とフィードバックを繰り返す遊びに没頭していった。

それをただ今の今まで続けてきただけの話。失敗することで改善点を探す、いや成功したときの方が、慎重にならなくてはならない。そういう絶え間ない研鑽がたまたま僕の性格にあっていただけなんだと、そう思う。研鑽という遊びをしているのだ。

ランニングそのものが楽しいと感じるのは、そういう「遊び」=「研鑽」が大きく占めている。